野道で二人が手を取って歩いているのを見たという者がある。それから話の花が咲いて、あることないこと、果ては聴くに忍びないような猥《みだ》りがましい噂に落ちて、ドッと笑う。
 最もこれは停車場ばかりの噂ではなかった、長峰の下宿の女房《かみさん》も、権之助坂の団子屋の老婆《ばあさん》も、私は至るところで千代子の恋の噂を耳にした、千代子は絶世の美人というのではないけれども、大理石のように緻《こま》やかな肌《はだ》、愛嬌《あいきょう》の滴《したた》るような口もと、小鹿が母を慕うような優しい瞳は少くとも万人の眼を惹《ひ》いて随分評判の高かっただけに世間の嫉妬《ねたみ》もまた恐ろしい。
 嫉妬! 私は世間の嫉妬の恐ろしさを今初めて知った。憐《あわ》れなる乙女は切なる初恋の盃に口つけする間もなく、身はいつの間にかこの恐ろしい毒焔の渦《うず》まきに包まれて、身動きも出来ない※[#「言+山」、第3水準1−91−94]謗《せんぼう》の糸は幾重にもそのいたいけな手足を縛めていたのである。「どうして大槻という奴は有名な男地獄で、もう横浜にいた時分から婆芸妓《ばばあげいしゃ》なんかに可愛がられたことがあって大変な
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