が、駅長の出してくれた筧《かけい》の水をグッと飲み干すとやや元気づいて来た。
 汽車はもう遠く去ったけれども、隧道《トンネル》の口にはまだ黒い煙が残っている。見ると紳士の顔にもしたたか泥が付いて、恐ろしい争闘《いさかい》でもした跡のよう、顔は青褪《あおざ》めて、唇には血の気の色もない、俯向いてきまりが悪そうに萎《しお》れている。口髯《くちひげ》のやや赤味を帯びたのが特長で、鼻の高い、口もとに締りのある、ちょっと苦味走った男である。
 紳士の前に痩身《やせぎす》の骨の引き締った三十前後の男が茶縞《ちゃじま》の背広に脚袢《きゃはん》という身軽な装束《いでたち》で突き立ったまま眼を光らしている。鳥打帽子の様子といい、草鞋《わらじ》をはいたところといいどこから見ても工夫の頭《かしら》としか見えない。
「どうだ上まで歩かれるか、大丈夫だろう洗って見たら大した傷でもあるまい」と駅長が優しくいうので、私も気を取り直して柱を杖に立ち上った。
 傷は浅いと見えてもうあまり眩暈《めまい》もしない。「もう大丈夫です」と答えると、駅長はちょっと紳士の方を向いて、
「どうかちょっとお話し致したいことがございます
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