がに来た時ほど悩まぬ。それに、さきに自分たちのつけた足あともある。ただこの大観をたのしむほどのゆとりに乏しい。滑らじと足ふみしめて、杖を大事につきたてる。
袴腰をも脱した。道はますます楽になった。うちむかう連峰の白と紫とは、薄墨色にかわってゆく。日が舂《うす》つく。山の端かけて空があからむ。その紅もうすく、よどんでしまう。風が私の頬をなぶる。春の風なら柔《やわら》かになでるのだけれど、これは先陣が、つと頬を切ってゆくと、後陣がまた、すいと刺してゆく。夏なら人をもゆるしてやる。しかし今この冬の王の宮居ちかく、生物とてはここの世界の草木も、虫も、眠る時を、なぜ、そなたは踏み込んだのだと責めるように吹く。私は転がるように降りた。くらくなった空を仰いで、M君は、あれが北斗だろうという。わらがとれてから、草鞋と足袋《たび》との間にはさまる雪の珠《たま》になやまされる。ついに足袋の紐《ひも》がずれる。草鞋をはきなおそうと、雪の上に足なげ出しての手まさぐり、ゲートルも、足袋も氷って、たやすく解けぬ。
いつか月が後から出てきた。山々がまた浮ぶ。私たちは月と雪とにてらされて、おりてゆく。松本の市街が
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