間も共に幻像化して、観念の静寂を味つてゐる。ここに流れる感情は変幻自在でも抽象的な単純を忘れない。この神秘的な世界に詩といふ霊祠があつて、すべての現象はそれを中心として顕れてゐる。この霊祠に寂しい恋愛といふ女性が住んでゐて、樹間を洩れて来る月の影を眺めて、魂の痛みを歌に歌つてゐる。さうしてその声が、この世界を取捲く憂愁の水へ波動するやうに感ぜられる。実にこの世界は痛ましいが麗はしい。
 私共は観阿弥が『松風』の一篇で私共に詩の世界を与へて呉れたことを喜ばねばならない。私は二度も三度も眼をつぶつて、松風村雨といふ憐れな二人の女性が今、『我跡弔ひて給びたまへ』と言葉を残して橋掛へ消えてゆく姿を想像する……彼等の小さい魂は見る間に朽ち、何の音も発せずに永劫の海へ沈んでゆくやうに感ずる……永劫の海は恐ろしく静寂である……今しも女性二人の魂をのんで仕舞つた海は、鈍重で灰色の波を静かに蜿らせる……さうしてこの永劫の海は眠つてゆく……
 秋の須磨を語つた私は次に春の東山を語りたい。月を語つた私は桜を語らねばならない。『松風』を語つた私は、『熊野』を語るであらう。遠州は池田の長者の娘熊野は平宗盛の愛妾
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