かしや』と涙を流す。ここで所謂破の舞が始まつて、地謡は『松に吹き来る風も狂じて』と歌ふのであるが、私共の想像は眼前に、波の高い須磨の浦で、終夜妄執に取りつかれてゐる二人の幽霊が恋の狂乱を演じ終わるのを見るのである。秋の月下で狂ふ恋の幽霊……これくらゐ詩の題材として感傷をそそるものはない。さうしてこの一篇『松風』ぐらゐ詩劇として情景の点で成功してゐるものは、何処の文学にもあるまい。実に永劫の価値がある。恋は人間自然の発露である。絶対的に原始的に人間に与へられた感情の節奏である。このこんがらかつた糸のやうに纏綿として尽きない恋の夢幻曲を松の夜陰に聞くのだから、この一篇が人を動かすのである。
 ああ、何たる精緻で然も力強い生命の表現がこの『松風』にあるであらう。どんなものでも人間性の根原を暗示する芸術は尊い。私共はそれから一つの不思議な力が強制的に迫つて来るやうに感ずる。私共は『松風』を読み、それを幾層倍も増して舞台で見る時、悲んでも傷まない感情の恍惚世界に入るのである……この世界は現実と想像の境目にある世界で、悲哀と歓喜とが互に反照し合つて濃霧のやうな光沢を放つてゐる。この世界では自然も人
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