である。今舞台へ顕れる熊野は、葛、葛帯、唐織着流しで、手に扇子を持ち、顔に小面を被つてゐる。小面には細長い目の上に、ずつと離れた一対の眉が附き、割りに太い低いどつしりと坐つた鼻だ……この平たい鼻に、軽快で理智的な現代を離れた土臭い昔の暗示がある。下脣が一寸上の方へしやくり上つた小さな口から、白い歯並が見える。これはまた不思議な芸術品で、彫刻家は女性の感情を蒸留し尽して、最後に残る尊い気分をそれに封じこんだものであらう……特殊な想像の世界をじつと見詰めてゐる顔である。この面ぐらゐ人間の感情を保留して慎しやかな表現をもつ仮面は何処にもあるまい。実際、世界に類のない面である。感情の驚くべき節約が面の上に行はれてゐるのであるから、見る人の想像で、涙の面ともなり又微笑の面ともなる……さうして眼前の熊野は心の中で泣いてゐるのである。それでも彼女は顔の表面で笑つてゐる。表で微笑して心で泣く……其処が、昔の女性の麗はしい点でなくて何であらう。この麗はしい女性美の幽霊が熊野となつて、現実の世界へ顕れてゐるのである。何故に熊野は心の中で泣いてゐるのか。彼女は今国元にある大病の老母からの手紙を、使者から受取
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