つて読んだのである。手紙の中の言葉に、『年ふりまさる朽木桜、今年ばかりの花をだに待ちもやせじと心よわき、老の鶯、逢ふ事も涙に咽ぶばかりなり』といふ文字もあつて、彼女は、一時も早く主人宗盛から帰国の許可を得ようと悶えるのである。能の場面に手紙を読上げる場所がいくつもあるが、この『甘泉殿の春の夜の夢』で始まる手紙は、恐らく人を動かす感情で満ちる点で、随一の大文章であらう。熊野の歎願を宗盛はきかない。彼は『牛飼車よせよ』と急いで車の用意をさせ、熊野に花見随行の厳命を下す。熊野は止むを得ないので車に乗る。彼女に対しては『心は先にゆきかぬる足弱車の力なき花見』である。
この一番から私の感ずる興味はここで始まる。牛飼車といつても、後見が舞台へ持出し見附柱の側に置く作物の車に過ぎない。又車の作物としても、変な恰好でただ車といふことを暗示するのみだ。ツレの朝顔はこの作物の後に、ワキの宗盛はその左に立つが、これも彼等が車中にあるものと思はなければならない。牛飼車は動き始めて東山へ向ふのであるが、後見がその車を動かすのでもない……観客は想像の力で、東山の春を飾る爛漫たる桜花を心に描かねばならない。然し、
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