の魂が祈祷を捧げる聖殿である。ここへ顕れる女性でも男性でも、その一挙一動は、香気を吐きだし終る一つの息だ。今松風と村雨が月の滴に濡れる花のやうに、幽麗な恍惚境に彷徨ふ有様を見よ。彼等は汲みいれた汐を車に載せて、波音近い海人の家へ運び帰らうとするのである。諸君は彼等がさうしようとするのだと想像せねばならない。
『さしくる汐を汲み分けて見れば月こそ桶にあれ』と地謡は歌ふ。村雨は車の前に進み、長柄についてゐる網を松風に持たせる。松風は『是にも月の入りたるや』と、一つの桶に月の映れるを見る。『うれしや是も月あり』と地謡の言葉で、もう一つの桶にも月があることが知れる。天の月は一つだが、『影は二つ満つ汐の夜の、車に月を載せて憂しとおもはぬ汐路かなや』とあつて、二箇の桶に月を入れて塩屋へ帰るのである。私がこの一番を最も詩的な暗示に富む一篇であることを語るには、此処までで十分である。私自身の目的からいふと、これからの事は蛇足の一種に過ぎない。この一番の詩劇としての生命は、橋掛から舞台に入つて、『あら心すごの夜』の月影を汲んで家へ帰る所で尽きてゐる。
 塩屋で諸国一見の僧が、一夜の宿を借りようとして待つ
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