薄紅葉の』で、伏見の稲荷山を花の雲間に見渡す……熊野の姿は優美の二字で尽きる。それから熊野は橋掛まで行き、笛のイロエで舞台へ帰り、中の舞を舞ふのであるが、これを『イロエ掛りの中の舞』といふさうだが、さういふ専門的符牒はどうでもいいことだ。
熊野は舞つてゐる時に村雨が降つて来るのを感ずる。『なふなふ俄の村雨のして花の散り候は如何に』といふ。舞に見とれてゐた平宗盛は、『げにげに村雨の降り来つて花を散らし候よ』といふ。熊野は『あら心なの村雨やな春雨の』と歌ひ、地謡の『ふるは涙か降るは涙か桜花』の言葉につれて、扇子をかざして空を見上げ、散りくる花をそれで受けとめ過ぎゆく春を惜しむ心で、受けた花を扇で伏せて捨てる……ああ、この瞬間に熊野は作歌する。落花を見るにつけて、故郷の病母をはるかに思ふのである。扇子を畳み、要の所を筆の穂先にして逆に持つのは、作つた歌を短冊に認める心持である。彼女は『いかにせん都の春も惜しけれどなれし東の花や散るらん』の歌を宗盛に見せる。宗盛は感動させられる。彼は彼女に暇を許す。熊野は『あら嬉しや、尊やな、是れ観音の御利生なり』と伏し拝んで、いそいそ退くのである。『明け行く跡の山見えて、花を見すつる雁金のそれは越路、我はまた東に帰る名残かな、名残かな』と地謡は歌ひ終つて、この艶麗憂愁を極める能楽の一番は終るのである。
いな終つてゐない……私共は頭をあげて橋掛を眺める。そこに能を終つて橋掛から楽屋へ向ふ熊野がゐる……熊野はまだ劇中の女主人公である。私共の頭にはまだ謡の音律が響いてゐる。橋掛を歩む熊野の歩みは遅い……劇を終つてもまだ劇中の熊野である。喜多六平太でも梅若万三郎でもない。私共は彼女が東路に病む母を思ひながら、北へ帰る雁金の後を追つてゆくやうに感ずる。私共は、子供の恐ろしい親指を離れた蝶々のやうな熊野の自由を眺めて、自分共の心も晴れ渡つたやうに感ずる……私共は熊野が上幕の後へかくれて見えなくなつた時、始めて緊張して強張つた両方の肩が、急に楽になるやうに感ずるのである。さうして其処で、この能『熊野』は始めて終結を告げるのである。
私はこの橋掛を抜きにして能楽を考へることが出来ない。私は考証に趣味を持つ専門家でないから、この橋掛が能楽の最初からあつたものか、また幾変化を経て今日のやうな形式になつたものかは知らない。私はただ長いものになると、十間以上もある橋掛の芸術的価値を歎美して喜ぶものである。実際舞台芸術として能楽の価値の少くも半分は、この橋掛にあるやうな気がする。橋掛に欄干が附いて、一の松、二の松、三の松と、三本の小さい松がその前に植ゑてあるのも単に面白いばかりでなく、それには深い意味があらう。技巧的にはそれ等の松は、役者の所作する目標であらうけれども、この簡単な装置がどんなに表象的に見え、どんなに暗示的効果をあげるか知れない。又能が昔松林の間で行はれたことのある名残だとのみいつて済まされるものでない。
底本:「日本の名随筆87 能」作品社
1990(平成2)年1月25日第1刷発行
1991(平成3)年9月1日第3刷発行
底本の親本:「野口米次郎選集 第三巻―文芸殿」春陽堂文庫出版
1943(昭和18)年9月発行
入力:渡邉つよし
校正:門田裕志
2002年11月12日作成
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