う。歌柄も、後期王朝末のものと見るが、適当らしくはあるが、仮りに女房の頓作から、古歌の字をかへて示したのを、直ちに原歌に戻して自分の心を述べたとしても、確かに小町の歌として信ずべきものには「雲の上は」の歌を伝へてゐない。
此歌、意味から言うても、宮中にあつて、而も後宮に立ち入ることが出来ぬ場合でなくては、不適当な発想を持つてゐる。小町が関寺に居ての返歌ならば「ありし昔にかはらねど」は、間違ひである。平安朝初期の条件法の厳重であつた時代には、たとひ興言利口にも、「かはらざらめど」と言はねば通じなかつたであらう。成範はさて措き、後期王朝末頃の人が宮中にゐて、這入り難い後宮をゆかしがつたものと見るのが、一番宛てはまつてゐる様である。「たまだれの内裡《ウチ》」と枕詞風に見ても、此点の不都合は免れることが出来ぬ。
思ふに、後宮を出て、里におりた女房たちの、昔の賑やかな生活を忍ぶ趣きが、此歌にも感じられる処から、単に言語情調の方面ばかりから、かう言ふ伝へが出来たのであらう。伊勢[#(ノ)]御(大和物語)備前(今鏡)などの、愛着深い歌と同列に、此歌を名高い女房の秀句の様に、思ひ違へするのは、尤の事で
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