傍線]を据ゑて考へたこと、従つて、其処への行きあしは、手間どらねばならぬはず、往復に費した時間をあたまに置かないで、此土に帰りついた時の様子を、彼地に居た僅ばかりの時間にひき合せて見れば、なる程たまげる程の違ひが、向うと此方との時間の上にある。
たぢまもり[#「たぢまもり」に傍線]の話は、一見浦島のに比べれば、理窟には適うて居る。其かと言うて、橘を玉櫛笥の一つ根ざしと見るはまだしも、此を彼の親根と考へては、辻褄が合ひ過ぎる。常世[#「常世」に傍線]の中路《ナカミチ》は、時間勘定のうちには這入つて居ない。目を塞いだ間に行き尽すことが出来るのも、其為である。粟稈《アハガラ》の謂はゞ一弾みにも、行き着かれる。此不自然な昔人の考へを、下に持つた物語として見なければ、香《カグ》の木実《コノミ》ではないが、匂ひさへも※[#「鼻+嗅のつくり」、第4水準2−94−73]《か》ぎ知ることが出来ないであらう。して見れば、古人の目《メ》の子《コ》勘定を、今人の壺算用に換算することは、其こそ、杓子定規である。此事こそは、世界共通の長寿の国の考へに基いて居るのである。常世人に、あやかつて、其国人と均しい年をとつ
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