て居る二元の取扱ひに、間然する処があつたとすれば、二つのうちの、いづれかゞ強きに失して、他の一つが、之に伴はなくなる。此工夫が即、趣向といふのである。趣向とことば[#「ことば」に白丸傍点]とが一致しなかつた時は、不調和が生ずる。古人が、詞《コトバ》、心に伴はずとか、詞すぐれたれど心おくれたるなりとかいうて居るのは、此出発点における、工夫の足らなかつた結果になつた作物を、評したのである。此情緒を表はす趣向とことば[#「ことば」に白丸傍点]との不調和は、文学的作物としての価値に影響するが、和歌には一面、形式美に陥つた点があるので、此辺から見れば、ことば[#「ことば」に白丸傍点]の勝れたのは、形式自身に幾分の価値ある点より、こゝろ[#「こゝろ」に白丸傍点]のおくれたのを補ふことが出来る。
之に反して、ある情緒を盛るに適切な形式、限界を与へなかつた時は、詩歌ではなくて、単に叙述文に過ぎないものとなり了《ハテ》るので、詩歌たる資格は、形式美を有することば[#「ことば」に白丸傍点]のすぐれた方が、まだしも多いわけ[#「わけ」に傍点]である。形式美は、一歩退いて考へて見ると、つまらぬ趣向をも、言語形
前へ 次へ
全26ページ中4ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
折口 信夫 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング