と言語形式とは、互に因果関係を交錯することはあるけれども、内容は常に、形式の後に生ずるといふことは納得せられねばならぬ。世の中の歌よみが、こゝろ[#「こゝろ」に白丸傍点]を本とし、ことば[#「ことば」に白丸傍点]を末だとして、容易《タヤス》く両者に軽重を定めて居るのは、今少し考へて見なければならぬと思ふ。かういふ謬見から語法を度外視して居る人もあるが、考へざるの甚しきものといはなければならぬ。勿論、ことば[#「ことば」に白丸傍点]といふ語《ゴ》は、たゞ語法一つを指した訳ではない。歌学の上で、ことば[#「ことば」に白丸傍点]と称へて居るものゝ意味は、いづれ第二において述べるが、此処では、情緒と詩歌の内容との間に、ある時間上、価値上の差別があるといふことを知つて貰ひさへすればよい。つまり従来《コレマデ》は、作者の立ち場と読者の立ち場とを混同して居たので、情緒は作者として、こゝろ[#「こゝろ」に白丸傍点]は読者として、といふ風に、原因と結果との相違がある。作者として採るべき態度は、情緒とことば[#「ことば」に白丸傍点]との結合する処において、非常の苦心、努力を用ゐることで、此因果関係の交錯し
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