敲する上においても、当然採用せられねばならぬわけで、前に述べた段階的観察点といふのは、即、此批判の範疇に外ならぬのである。
まづ美的情緒が動いて、ある言語形式を捉へると、此処にはじめて、こゝろ[#「こゝろ」に白丸傍点]が成り立つのである。こゝろ[#「こゝろ」に白丸傍点]は、作者の方においては之を思想[#「思想」に白丸傍点]といひ、読者の側からは之を、ある形式を通して受納する意味、といふ。繰り返していふと、言語形式を俟つて、ある限界が、情緒の内容を為して居る思想(未だ明に思想といふことの出来ない、甚だ渾沌たる状態にあるもの)の上につけられて、内容が固定して来るので、明確なこゝろ[#「こゝろ」に白丸傍点]は、此処に到つて現はれるのである。
形式の成ると共に、内容が定まる。此処にはじめて、ことば[#「ことば」に白丸傍点]と、こゝろ[#「こゝろ」に白丸傍点]との対立を見るのである。こゝろ[#「こゝろ」に白丸傍点]すぐれたりだの、おとりたるこゝろがまへ[#「こゝろがまへ」に白丸傍点]だのといふのである。如何なる情緒も、取り扱ひ方、即、形式一つで、すぐれた内容とも、おとつた内容ともあらはれる。情緒
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