、此うちに入れねばならぬ。
定家の所謂幽玄体と称するのは、非常に音覚を重じた者で、主観客観を出て絶対境に入らむとして居るものが多い。であるから、従来の学者の如き、内容に形体的、実質的の両面のあることの考へもなく、且、勿論二方面の区別を立てた後に、之をまた融合せしめて考へることの出来なかつた頭脳からは、難解とのみ却けられたのも道理《モツトモ》であるが、今日ではもうその様な解釈法ではいけない。音覚については、すがた[#「すがた」に傍点]のことを説く場合に、更に、詳しく論ずるつもりである。
右、略《ホ》ぼ三つの表現法によつて、形体的内容があらはされるといふことを述べた。次には尠し立ち場をかへて部分と全体との考への上から、形体的内容と実質的内容との関係を説きたい。
第一次思想の限界を加へられてあらはれたものが実質的内容であることは、予《カネ》ていうておいた。であるから、まづ与へられた形式の全体をうづむる内容といふことが出来る。
次に、実質的内容に並行して、同一の形式の上に統一せられて居る形体的内容がある。
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君恋ふるなみだのうらにみちぬればみをつくしとぞわれはなりぬる(新
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