おもひなぎさは今宵かなうらに立つなみうち忘れつゝ(大和物語)
[#ここで字下げ終わり]
諸平のは、時鳥を今か/\とまつ心を折しもさいて居る藤の上にうつしてよんだもので、要はたゞ、人の心が時鳥になびいて居るといふ実質的内容に帰するが、それが形体的内容と融合してあらはれた美的仮象は、決してそんな単純なものではない。感覚的仮象(即形体的内容)は、松になびいて咲いて居る藤の花、空想的仮象は、なく初声をまつ心が時鳥になびくといふこと、前後にまつとなびくといふ語があつて、此が契機となつて、両仮象を結びつけて居るが、其集合概念としてあらはれた美的仮象は、やゝ趣を異にして居る。松になびいて居る藤の花を単に形体的内容とし、人の心が時鳥になびくといふのを容易《タヤス》く、実質的内容として分つことが出来ないところに、此表現法の意味はある。
次の歌の類は、沢山ある。此は前の者よりは主観が明らかにあらはれて居る。うみ[#「うみ」に傍線]は単に客《キヤク》として言語をあやなす為に採られたばかりであるが、此種の者もかりに此部類にこめておかう。
此外、興《キヨウ》の体《タイ》に属するものゝ一部、及、音覚を主とする者は
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