式によつて、思想としては、大に見直す事の出来るものとするのだともいふことが出来る。
兎も角も、此情緒を発表する趣向は、作物の根柢となるものであるから、適切なる言語形式を捉へることは勿論、極めて厳密な美的考察を要する。
事物を定義することに無頓着であつた古人は、伝習的に用ゐ来つた歌学上の専用語を、自由に用ゐて居る為に、たゞこゝろ[#「こゝろ」に白丸傍点]といふ一語を以て、趣向にも、亦内容にも通じて使つて居る。下に説かうとする数々の語も、皆かういふ風に、使用者が読者の直覚を予期してかゝつて居たのであるから、今日之を説くには、非常な困難を感ずる次第であるが、みな之は、言語の意味の内包が明かでなかつた為に生じた結果で、歴史的に発展の過程を考へて見れば、歌合行はれ、歌式出で、歌話が物せられ、師範家が出来、批評家が現はれた中に、雑多な用法をせられ乍ら、其処に、ある一道の集合的概念を抽き出す事が出来ると思ふ。此意味における専用語の意味を説明すると共に、発展の路において、経て来た異なる意味の用ゐ方をも、示したい考《かんがへ》である。勿論、ある意味と、正反対の意味に用ゐられた例証は、自分といへども、少からず提出することが出来るが、唯集合的概念の謬《アヤマ》らざる、最も適切に、巧妙に、また最も全過程を包括した、最近の意味におけるものを採るので、単に言語の意味を説くのみに止めず、今後この定められたる意味を以て、此等の専用語をば、盛に復活して用ゐたいといふ微意に外ならぬのである。
こゝろ[#「こゝろ」に白丸傍点]といふ語は、内容、即思想、及趣向の意に用ゐられて居る。
ここに一言断つて置かねばならぬのは、趣向といふものは、一体が、どういふ風に情緒を発表すれば、言語形式を通して、完全なる内容を形づくることが出来るかといふ、努力を意味するものであるから、趣向というても、思想というても、全然異なる事柄ではないので、たゞ原因結果の関係があるものといふ外に、明瞭な区別は出来ない。強ひていふと、趣向は動的で、まだ全く固定したといふことの出来ないもの、思想は静的で、結果より帰納せられた、固定したもの、言ひ換へれば、ことば[#「ことば」に白丸傍点]と趣向とよりなつて、読者をして、形式的に、実質的に、並に想像の結合によつて、作者が最初に起したものに近い美的情緒を、再現せしむる働《ハタラキ》を為すものなのである
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