。で、こゝろ[#「こゝろ」に白丸傍点]といふ語は、何《ド》の時代においても、右の両に用ゐられて居る。
天徳四年内裡歌合の、八番右の兼盛の、
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ひとへづゝ八重山吹はひらけなむほどへて匂ふはなとたのまむ
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とある歌、判の詞に、「右歌、八重山吹のひとへづゝひらけむは、ひとへなる山吹にてこそはあらめ。心[#「心」に白丸傍点]はあるに似たれども、八重咲かずば、本意なくやあらむ」とあるもの、
応徳三年の若狭守通宗朝臣女子達歌合に、
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郭公あかずもあるかな玉くしげ二上山の夜はのひとこゑ
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の判詞に、「ふたかみ山、あかずなどいふ心[#「心」に白丸傍点]、いとをかし」云々とあるもの、
建保五年の歌合の、二十三番の、
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須磨の浦に秋をとゞめぬ関守ものこる霜夜の月は見るらむ
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の歌に、「秋をとゞめぬ関守、残る霜夜の月をみる心[#「心」に白丸傍点]宜し」とて、為[#(ス)][#レ]勝[#(ト)]と定家が追記したるもの、
景樹の、六十四番歌結、三十四番左の、「いかにせむ萩にはしかと頼めてし」云々の歌の判詞に、「左、萩にはしかとゝいふに、鹿をこめて、さてその萩だにもすぎむとぞするといはれたる、心[#「心」に白丸傍点]詞《コトバ》たゞならぬにや」などあるのは、皆趣向の意である。
思想の意味に用ゐたのには、古今集の序、「在原業平は、そのこゝろ[#「こゝろ」に白丸傍点]あまりて、ことば足らず」云々とあるもの、
千五百番歌合、百三十六番右、定家の歌の、
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まちわびぬ心づくしの春霞花のいざよふ山の端の空
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を評して、「右、心[#「心」に白丸傍点]こもりて、愚意難[#(シ)][#レ]及[#(ビ)]」云々と、見えて居るもの、
六十四番歌結に、三番子日[#(ノ)]友の右、
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たちまじり小松ひく日はわれならぬ人のちとせもいのられにけり
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とあるのゝ判詞に、「右は、その意[#「意」に白丸傍点]したゝかにいひすゑられて、あまりこちたきまでにぞ聞きなされ侍る」云々、とある類が、其《ソレ》である。

     二「こゝろ」 その二

思想と内容との関係については、前章に於て聊か述べておいたが、
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