なると思ふ。
うか・る[#「うか・る」に傍線]といふ語は、うか/\[#「うか/\」に傍線]といふ語ある如く、うか[#「うか」に傍線]は体言的に扱はれて受身のる[#「る」に傍線]がつけられてゐるのである。これを使役の意味にうつしてうか・す[#「うか・す」に傍線]としても、やはりうく[#「うく」に傍線]といふことをせしむといふ意味にするのである。なく[#「なく」に傍線]がなかる[#「なかる」に傍線]となり、なかす[#「なかす」に傍線]となるのもやはりなく[#「なく」に傍線]といふことがせられるとか、なく[#「なく」に傍線]といふことをせさすとかいふ意味になるのである。同様にくだ・る[#「くだ・る」に傍線]とくだ・す[#「くだ・す」に傍線]はくだ[#「くだ」に傍線]が語根となつてゐるので、これもやはり将然名詞法であらうとおもふ。即ちくづ[#「くづ」に傍線]といふ語があるべき筈である。然しながら、これは甚だ耳遠くてそんな語があつたか、なかつたかもわからぬ。けれどもこれを発音上親族的の関係あるや[#「や」に傍線]行にうつしてみれば、くゆ[#「くゆ」に傍線](崩)といふ語は明かに下の方へあるものがおつることを示す、即ちくづ[#「くづ」に傍線]といふ語の存否如何に係らずくだ[#「くだ」に傍線]といふ語はくゆ[#「くゆ」に傍線]といふ語とゝも似たものであるといふことがわかる。くつ[#「くつ」に傍線]といふ語について少し考へてみると、人はくさる[#「くさる」に傍線]といふ意味ばかりとおもうてゐる。けれども雨をくだし[#「くだし」に傍線]といふことのあるのは卯の花くたし[#「卯の花くたし」に傍線]といふ語によつてもわかる。即ちくたし[#「くたし」に傍線]は従来卯の花をく[#「く」に「朽」の注記]たすから卯の花くたしだというてゐるけれども、庄内地方の方言ではくたす[#「くたす」に傍線]を雨にぬれるといふ事に用ゐてるさうで(庄内方言考)、卯の花くだしといふのはつまり卯の花雨といふ意味であらう。
おは(負)・る[#「おは(負)・る」に傍線]とおは・す[#「おは・す」に傍線]はおふ[#「おふ」に傍線]といふことを、またる[#「る」に傍線]とす[#「す」に傍線]とをもつて受身と使役と両様にはたらかしたのである。ゆか・む、ゆか・じ、ゆか・ず、ゆか・ましなどゝいふ場合にこのゆか[#「ゆか」に傍線]に
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