いふけれども、水ふくとはいはない。ある人は夜のふかいといふのは漢字の深夜から胚胎せられたものといふけれども、「うば玉の夜のふけゆけば」といふ様な語つきはそんなに直訳的にもきこえない。この夜ふくといふ方をばもとゝしてふかし[#「ふかし」に傍線]をとく場合には極簡略に説明する事が出来る。けれどもさうばかりはいふことが出来ない。水のふかい事をばふく[#「ふく」に傍線]といふ様にいうた古動詞があつたらうとおもふけれども、今は断定することはできない。(つけていふ、ふく・む[#「ふく・む」に傍線]といふ語はこのふく[#「ふく」に傍線]にあるひは関係がありはすまいか。河内の旧讃良郡に深野とかいてふこ〔<ふく〕の[#「ふこ〔<ふく〕の」に傍線]とよむ所がある。この辺は川水のために、古くは沼地であつたので、この地名がその水とか泥とかのふかゝつたことをあらはしてをるのは勿論である。けれどもかういふことは音韻の転訛といふことによりてつぶされるから、さう/\ふかいりはすまい。)
[#ここから3字下げ]
近《チカ》は、つ・く[#「つ・く」に傍線]から出たものらしい。近・つく[#「近・つく」に傍線]、つき/\・し[#「つき/\・し」に傍線]、つ・ぐ[#「つ・ぐ」に傍線]などみな密接近似などいふ意がある。
因にいふ、後撰集に、関こゆる道とはなしにちか[#「ちか」に傍点]乍ら年にさはりて春をまつかな といふ語法は注意にあたひすると思ふ。
[#ここで字下げ終わり]
べらなり[#「べらなり」に傍線]のべら[#「べら」に傍線]をばめら[#「めら」に傍線]の将然法の音転としたならば、これをも体言といふ説の一つの材料に供することができる。なり[#「なり」に傍線]は動詞の終止と連体とにつく外は多くは体言につくのであるといふことに注意せねばならん。形容詞の将然段は普通の文法家は連用言のうちにこめてしまふけれども、よけ[#「よけ」に傍線]とかあしけ[#「あしけ」に傍線]とかなけ[#「なけ」に傍線]とかいふ語が已然にも将然にも用ゐられてゐる。しかし、これはあり[#「あり」に傍線]といふ語の融合してをるといふ説があるから、この場合には姑くこれを措いておく。
以上論じたところで、用言なるものは将然言が名詞法を有してゐるといふことがわかつたとおもふ。尚いろ/\の用言をもつて来てその語根について考察したならば一層明かに
前へ
次へ
全32ページ中14ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
折口 信夫 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング