むれ」に白丸傍点]が上に(斉明紀)。
培※[#「土へん+婁」、440−9]《ツムレ[#「ムレ」に白丸傍点]》 倭名鈔には田中小高也とある。
もり[#「もり」に白丸傍点](森)。
但し、山の意にも用ゐて居る事もある。紀伊の牟婁郡は山の郡の意であらうし、みよしのゝ小村[#「小村」に白丸傍点](をむら)が嶽の類。
[#ここから1字下げ]
わかゆ[#「わかゆ」に傍線]に対してはおゆ[#「おゆ」に傍線]、わかし[#「わかし」に傍線]に対してはおし[#「おし」に傍線]のある筈であることも之を以て明かにすることが出来るとおもふ。
高についてもさうである。たく[#「たく」に傍線]といふ動詞の将然名詞法であることは疑がなからう。勿論今のたく[#「たく」に傍線]とたかし[#「たかし」に傍線]との意味の内包には一致しない点がないでもない。けれどもこれは時代と共にふたつの語にふくまれてをる思想が互にへだゝつて来たので、この考を以てたく[#「たく」に傍線]とたかし[#「たかし」に傍線]との関係を思うてみれば、たかし[#「たかし」に傍線]がたく[#「たく」に傍線]から出たといふことは決して考へがたくない。
優《ヤサ》といふ語は、しく活形容詞の語根でありながら、体言的なのがめづらしいので、この優は勿論やす[#「やす」に傍線]といふ下二段の動詞のあ[#「あ」に傍線]母音をふくんだ形をとつたもので、四段動詞が諸種の動詞の根源であるといふ説がなり立つとすれば将然法というても差支はなからう。(これについては卑見もあるけれど、論が多端にわたるのをさけて後にいふことにする。)やさ男やさ形《ガタ》というても、まだ全くはやす[#「やす」に傍線]といふ語の意を去りかねてゐるのはおもしろい。
次に、浅《アサ》は動詞のあす[#「あす」に傍線]といふ語の将然法とも見るべきあ[#「あ」に傍線]母音をとつた形で、河があさい[#「あさい」に傍線]とか水が浅い[#「浅い」に傍線]とかいふのは、水のあせるといふ思想をばふくんでゐるので、山が浅いとか心があさいとかいふのは水が浅いといふことから、類を推して用ゐたのにすぎないのである。
深《フカ》といふ語については水が深いといふのが元か、夜が深いといふのがもとか、容易に断定することは出来ないが、何れにしてもふく[#「ふく」に傍線]といふ語であるにちがひない。今では夜ふくとは
前へ
次へ
全32ページ中13ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
折口 信夫 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング