#「たま」に傍線]のひ[#「ひ」に傍線]で、即、火光を意味する、と説明した学者があつたけれども、其は信じられない説である。少くとも、第二義に堕ちた説明だと思はれる。やはり実際に使うてゐる例から、考へねばならぬと思ふが、大和だましひ[#「だましひ」に傍線]とか、其外、平安朝に書かれた用語例などで見ると、此は知識でなく、力量・才能などの意味に使はれて居るので、活用する力・生きる力の意を持つた、極端にいへば、常識といふことにもなるので、或学者は、大和魂を常識として説明したが、其までには考へなくとも、少くとも、働いてゐる力、といふ事にはなるのである。
沖縄へ行つて見ると、此二者の使ひ方が、明らかに違ふ。たま[#「たま」に傍線]は、我々の謂ふたましひ[#「たましひ」に傍線]の事で、たましひ[#「たましひ」に傍線]は、才能・技倆を意味する。ぶたましぬむん[#「ぶたましぬむん」に傍線](不魂之者《ブタマシノモノ》)と言ふのは、器量のないもの・働きのないものと言ふことになるので、平安朝時代の用語例と、非常によく似た近さを、持つて居るのである。
さうすると、たま[#「たま」に傍線]とたましひ[#「たまし
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