」に傍線]の容れ物だと考へた。三輪山のおほものぬしの[#「おほものぬしの」に傍線]命は、此神自身は、人格を具へて居ない、即、眼に見えない精霊で、おほものぬし[#「おほものぬし」に傍線]のもの[#「もの」に傍線]其ものが示して居るやうに、純化した神ではないのである。其で、おほくにぬし[#「おほくにぬし」に傍線]自身ではないが、又、おほくにぬし[#「おほくにぬし」に傍線]でもある事になるのである。
       漂著石――石移動の信仰
かやうにたま[#「たま」に傍線]だけがやつて来る事もあり、其が体にくつつく場合もあり、更に此たま[#「たま」に傍線]が、石に這入る事もあり、石に這入つてやつて来ることもあると考へたので、一夜の中に、常世の波にうち寄せられて、忽然と石が現れ、見る/\中に、大きくなつたといふ信仰譚が、其処から発生した。石が流れ寄るなどゝは考へられない事だが、たま[#「たま」に傍線]が依り来る一つの手段として、こんな方法を考へたのだと見ればよい。其所に石移動の信仰も生れた。柳田先生の生石の話が其である。
石が大きくなつたと言ふ話に、石と旅行をした話が附随して居るものがある。後世で
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