内は皆、三山の主神の遥拝所《オトホシ》として設けたのであらう。三殿内には、真壁大阿母志良礼《マカンウフアムシラレ》・首里大阿母志良礼《シユンウフアムシラレ》・儀保大阿母志良礼《ギボウフアムシラレ》を置いた。其上更に官として、聞得大君が据ゑてあつたのである。三つの大阿母志良礼《ウフアムシラレ》の下には、其々の地方の巫女が附属してゐる。佐司笠《サスカサ》・阿応理恵《アオリヱ》は、実力から自然に、游離して来る事になつたのである。併し、此とて、元々別々のものが帰一せられたものではなく、同根の分派が再び習合せられたものと見るのが、当を得てゐるであらう。
三|比等《ヒラ》の殿内の下には、間切《マキリ》々々(今、村)、村々(今、字)の君《キミ》並びに、のろ[#「のろ」に傍線]たちが附属してゐる。のろ[#「のろ」に傍線]は敬称してのろくもい[#「のろくもい」に傍線]と言ふ。くもい[#「くもい」に傍線]は雲上と宛て字する。親雲上《ペイチン》(うやくもい)などゝ同じく、役人に対して言ふ敬意を含んでゐるのであらう。王朝時代は、役地が与へられてゐて、下級女官の実を存してゐたのである。一間切に一人以上ののろ[#「のろ」に傍線]があつて、数多の神人《カミンチユ》(女)を統率してゐる。女は皆神人となる資格を持つのが原則だつたので、久高島の婚礼謡の様な考へ方が出て来る。上は聞得大君《チフイヂン》から、下は村々の神人に到る迄、一つの糸で貫いてあるのが、琉球の巫女教である。のろ[#「のろ」に傍線]の仕へるのは、地物・庶物の神なる御嶽・御拝所《ヲガン》の神である。又、自分ののろ[#「のろ」に傍線]殿内《ドノチ》の宅《ヤカ》つ神なる火の神に事《ツカ》へる。其外にも、村全体としての神事には、中心となつて祭りをする。間切、村の根所《ネドコロ》の祭りにも与る。
根所《ネドコロ》と言ふのは、各地にかたまつたり、散在したりしてゐる一族の本家の事である。根所《ネドコロ》は元々其地方の豪族であつたものであらう。根所々々には、先祖を祀つた殿或はあしゃげ[#「あしゃげ」に傍線]があつて、其中には、仏壇風の棚に位牌を置くのが普通である。此神が根神《ネガミ》である。標準語で言へば、氏神と言ふ事になる。一つ根所《ネドコロ》の神を仰いでゐる族人が根人《ネビト》(ねいんちゆ=にんちゆ=につちゆ)である。処が、根所《ネドコロ》の当主に限り特に根人《ネビト》と言ふ事も多い。此は男であつて、而も、神事に大切な関係を持つてゐるもので、勢頭神《シヅカミ》又は、大勢頭《ウフシヅ》など言ふ者が、巫女中心の神道に於ける男覡である。根人腹《ネンチユバラ》(原と宛て字するのと一つであらう)と言ふ事は、氏子・氏人の意が明らかにある。
根神《ネガミ》に仕へる女を亦、根神《ネガミ》と言ふ。根神おくで[#「根神おくで」に傍線](又、うくでい)と言ふが正しい。併し、ある神と、ある神専属の巫女との間に、区別を立てる事をせぬ琉球神道では、巫女を直に、神名でよぶ。根神おくで[#「根神おくで」に傍線]の略語と言ふ事は出来ないのである。御《オ》くでは、くで[#「くで」に傍線]とかこで[#「こで」に傍線]とか言ふ語が語根で、託女と訳してゐる。古くはやはり、聞得大君《チフイヂン》同様、根所《ネドコロ》たる豪族の娘から採つたものであらうが、近代は、根人腹《ネンチユバラ》の中から女子二人を択んで、氏神の陽神に仕へる方を男《オメ》(神《ケイ》)託女《オクデ》、陰神に仕へるのを、女《オメ》(神《ナイ》)託女《オクデ》と言ふ、と伊波氏は書いてゐられる(琉球女性史)。地方にあつては、厳重に此通りも守つては居ない様である。此根神おくで[#「根神おくで」に傍線]の根神《ネガミ》が、一族中に勢力を持つてゐるので、一村が同族である村などでは、根神《ネガミ》はのろ[#「のろ」に傍線]を凌ぐ程の権力がある。根神《ネガミ》はのろ[#「のろ」に傍線]の支配下にあるのであるが、のろ[#「のろ」に傍線]と仲違ひしてゐるものゝ多いのは、此為である。而も村の神事には、平生の行きがゝりを忘れて、一致する様である。根所々々にも、のろ[#「のろ」に傍線]の為には、一つの御拝所《ヲガン》であり、根神も、一方に村の神人《カミンチユ》である点から、根所以外の祭事にも与つて、のろ[#「のろ」に傍線]の次席に坐る。
祖先崇拝が琉球神道の古い大筋だとの観察点に立つ人々は、のろ[#「のろ」に傍線]が政策上に生まれたものと見勝ちである。けれども、祖先崇拝の形の整ふ原因は、暗面から見れば、死霊恐怖であり、明るい側から見れば、巫女教に伴ふ自然の形で、巫女を孕ました神並びに、巫女に神性を考へる所に始るのである。地方下級女官としてのろ[#「のろ」に傍線]の保護は、政策から出たかも知れぬが、のろ[#「のろ」に傍線]を根神より新しく、琉球の宗教思想に大勢力のある祖先崇拝も、琉球神道の根源とは見られないのである。
内地の神道にも、産土神・氏神の区別は、単に語原上の合理的な説明しか出来て居ないが、第二期以後の神道には、所謂産土神を祀る神人と、氏神に事へる神人とが対立して居た事が思はれる。厳格に言へば、出雲国造の如きも、氏神を祀つてゐたのではない。のろ[#「のろ」に傍線]は謂はゞ、産土神の神主と言うてよいかも知れぬ。
のろ[#「のろ」に傍線]・根神の問題から導かれるのは、ゆた[#「ゆた」に傍線](ゆんた・よた)の源流である。伊波氏は、ゆんた[#「ゆんた」に傍線]はしやべる[#「しやべる」に傍線]の用語例を持つてゐるから、神託を告げる者と言ふのと、八重山で、ゆんた[#「ゆんた」に傍線]と言ふのは、歌といふ事だから、託宣の律語を宣《の》るものとの、二通りの想像を持つてゐられる様に見える。佐喜真興英氏は、のろ[#「のろ」に傍線]よりもゆた[#「ゆた」に傍線]が古いものだらうと演説せられてゐる(南島談話会)。私は、女官御双紙《ニヨクワンオサウシ》に見えた、国王|下庫裡《シタゴリ》への出御や、他へ行幸のをり、いつも先導を勤める女官よたのあむしられ[#「よたのあむしられ」に傍線]と関係がないかと想像してゐる。場合は違ふが、天子神事の出御に必先導するのは、我が国では、大巫《オホミカムコ》の為事になつて居た。王の行幸に、凶兆のある時は、君真者《キンマムン》現れて此を止める国柄ゆゑ、行幸・出御に与る此女官に、さうした予知力ある者を択んで日時《トキ》の吉凶を占はしたので、ときゆた[#「ときゆた」に傍線]などいふ語も出来たのか、よた[#「よた」に傍線](枝)の義の分化に、尚多く疑ひはあるが、此方面から見る必要があり相である。よたのあむしられ[#「よたのあむしられ」に傍線]の今は伝らぬ職分の、地方に行はれたのが、ゆた[#「ゆた」に傍線]の呪術ではあるまいか。正当なのろ[#「のろ」に傍線]・根神などの為事から逸れた岐路といふので、ゆた[#「ゆた」に傍線]神人《カミンチユ》と言うたのが語原ではあるまいか。此点から見れば、よたのあむしられ[#「よたのあむしられ」に傍線]も、神事から分岐した為事に与る女官の意かも知れぬ。
久高島久高のろ[#「のろ」に傍線]の夫、西銘《ニシメ》松三氏の話では「根神はしゆんくり[#「しゆんくり」に傍線]の様な事をする」との事であつた。しゆんくり[#「しゆんくり」に傍線]は同行の川平《カビラ》朝令氏にもわからなかつたが、東恩納寛惇氏は総括りと言ふ様な語の音転ではないかと言はれた。久高島の語は、沖縄本島の人にすらわからぬのが多い。西銘《ニシメ》氏の前後の口ぶりでは、本島のゆた[#「ゆた」に傍線]のする様な為事を、根神《ネガミ》がする様な話だつたので、私は尚疑問にしてゐる。柳田先生が、大島で採集して来られたしよんがみい[#「しよんがみい」に傍線](海南小記)と同根でありさうに思ふ。此は、ゆた[#「ゆた」に傍線]の為事をする男の事である。根神《ネガミ》は一村の人と親しい事、のろ[#「のろ」に傍線]よりも濃かるべきはず故、冠婚葬祭の世話を焼くは勿論、運命・吉凶・鎮魂術《マブイコメ》まで見てやつた処から、ゆた[#「ゆた」に傍線]神人たる職業が分化して来たのではあるまいか。沖縄県では、のろ[#「のろ」に傍線]は保護せぬまでも虐待しては居ないが、ゆた[#「ゆた」に傍線]は見逃して居ないにも拘らず、ゆた[#「ゆた」に傍線]の勢力は、女子の間には非常に盛んで、先祖の霊が託言したのだと称して風水見《フウシイミ》([#ここから割り注]墓相・家相・村落様式等を相する人、主に久米村から出る[#ここで割り注終わり])の様な事を言うて、沢山の金を費させる。先祖の墓を云々したり魂《マブイ》を預つて居る様な所は、根神《ネガミ》の為事のある部分が游離して来たものらしい気がする。全体、琉球神道には、こんなゆた[#「ゆた」に傍線]の際限なく現れるはずの理由がある。其は、神人に聯絡した問題である。
広い意味では、のろ[#「のろ」に傍線]・根神[#「根神」に傍線]までも込めて神人《カミンチユ》といふが、普通は、村の女の中、択ばれてのろ[#「のろ」に傍線]の下で、神事に与る者を言ふ様である。殆どすべてが女で、男では根人《ネビト》、並びに世話役とも言ふべき勢頭《シヅ》を二三人、加へるだけである。神人になるのは、世襲の処と、ある試験を経てなる地方との二つあるのである。発生から言ふと、後の方が却つて、古い風らしい。大体母から娘へと言ふ風に、神人を襲《つ》ぐ様である。だから、神秘の行事は、不文のまゝ、村の神人から神人に伝はる。夫や子ですらも、自分の妻なり母が神人として、どう言ふ為事をして居るのか決して知らない。神人には役わりがめい/\割りふられてゐて、重いものは何某の神に扮し、軽い者で歌舞《アソビ》を司る様である。さうして一々にそれ/″\神名がついて居る。山の神・磯の神或はさいふあ[#「さいふあ」に傍線](斎場御嶽の事か)神[#「神」に傍線]・にれえ神[#「にれえ神」に傍線]など言ふ風な名である。其外に、神人の神事に与つて居る時は、あそび神[#「あそび神」に傍線]・たむつ神[#「たむつ神」に傍線]など言ふ風に言ふ。さうして其中、其扮する神の陰陽によつて、誰はうゐきい神[#「うゐきい神」に傍線](男神)彼はをない神[#「をない神」に傍線](女神)と区別してゐる。人としての名と神としての名が、何処ののろ[#「のろ」に傍線]に聞いても混雑して来る。
事実、あちこちののろどんち[#「のろどんち」に傍線]に残つた書き物を見ても、神人の常の名か、祭りの時の仮名《ケミヤウ》か、判然せぬ書き方がしてある。殊にまぎらはしいのは、七人・八人とかためて書く様な場合に、七人・八人、又は七人神・八人神と書いたりする事である。実名も神名も書かないで、何村神と書いて、一年の米の得分を註記してある類もある。何村何某妻何村何某妻うし何村何某母親などあるかと思ふと、何村伊知根神[#「伊知根神」に傍線]何村さいは神[#「さいは神」に傍線]何村殿内神[#「殿内神」に傍線]など言つた書き方も見える。神人自身、神と人の区別がわからないので、祭りの際には、尠くとも神自身と感じてゐるらしい。其気持ちが平生にも続く事さへあるのである。神人を選択するのはのろ[#「のろ」に傍線]、根神《ネガミ》は、一人子の場合は問題はないが、姉妹が多かつたり、沢山の女姪の中から択ばなければならなかつたりする時は、ゆた[#「ゆた」に傍線]に占うて貰ふと言ふ変態の為方もあるが、大抵は病気などに不意にかゝつて、次の代ののろ[#「のろ」に傍線]として、神から択ばれたといふ自覚を起すのである。
処が、唯の神人《カミンチユ》は、さうした偶然に委せることの出来ない程、人数が多い。それで選定試験が行はれる。大体に於て、久高島に今も行はれるいざいほふ[#「いざいほふ」に傍線]といふ儀式が、古風を止めてゐるに近いものであらう。いざいほふ[#「いざいほふ」に傍線]をうける女は、若いのは廿六七、四十三四までが、とまりである。午年毎に、第三期ま
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