琉球の宗教
折口信夫

−−
【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)袋中大徳《タイチユウダイトコ》

|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)一家|浜下《ハマウ》り

[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(例)[#「よりあけ森の神」に傍線]

/\:二倍の踊り字(「く」を縦に長くしたような形の繰り返し記号)
(例)サキジマ/\
*濁点付きの二倍の踊り字は「/″\」
−−

     一 はしがき

袋中大徳《タイチユウダイトコ》以来の慣用によつて、琉球神道の名で、話を進めて行かうと思ふ。それ程、内地人の心に親しく享け入れる事が出来、亦事実に於ても、内地の神道の一つの分派、或は寧、其巫女教時代の俤を、今に保存してゐるものと見る方が、適当な位である。其くらゐ、内地の古神道と、殆ど一紙の隔てよりない位に近い琉球神道は、組織立つた巫女教の姿を、現に保つてゐる。
而も琉球は、今は既に、内地の神道を習合しようとしてゐる過渡期と見るべきであらう。沖縄本島の中には、村内の御嶽《オタケ》を、内地の神社のやうに手入れして、鳥居を建てたのも、二三ある。よりあけ森の神[#「よりあけ森の神」に傍線]・まうさてさくゝもい[#「まうさてさくゝもい」に傍線]御威部《オンイベ》に、乃木大将夫婦の写真を合祀したのが一例である。
国頭《クニガミ》の大宜味《オホギミ》村の青年団の発会式に、雀の迷ひ込んだのを、此会の隆んになる瑞祥だ、と喜び合うたのは、近年の事である。此は、内地風の考へ方に化せられたので、老人仲間では、今でも、鳥の室に入ることを忌んでゐる。其穢れに会ふと、一家|浜下《ハマウ》りをして、禊いだものである。併しながら、宗教の上の事大の心持は、此島人が昔から持つてゐた、統一の原理でもあつた。甚しい小異を含みながら、大同の実を挙げて、琉球神道が、北は奄美《アマミ》の道の島々から、南は宮古、八重山の先島々《サキジマ/\》まで行き亘つてゐる。

     二 遥拝所――おとほし[#「おとほし」に傍線]

琉球の神道の根本の観念は、遥拝と言ふところにある。至上人の居る楽土を遥拝する思想が、人に移り香炉に移つて、今も行はれて居る。
御嶽拝所《オタケヲガン》は其出発点に於て、やはり遥拝の思想から出てゐる事が考へられる。海岸或は、島の村々では、其村から離れた海上の小島をば、神の居る処として遥拝する。最有名なのは、島尻《シマジリ》に於ける久高《クダカ》島、国頭《クニガミ》に於ける今帰仁《ナキジン》のおとほし[#「おとほし」に傍線]であるが、此類は、数へきれない程ある。私は此形が、おとほし[#「おとほし」に傍線]の最古いものであらうと考へる。
多くの御嶽《オタケ》は、其意味で、天に対する遥拝所であつた。天に楽土を考へる事が第二次である事は「楽土」の条《クダ》りで述べよう。人をおとほし[#「おとほし」に傍線]するのには、今一つの別の原因が含まれて居る様である。古代に於ける遊離神霊の附著を信じた習慣が一転して、ある人格を透して神霊を拝すると言ふ考へを生んだ様である。近代に於て、巫女を拝する琉球の風習は、神々のものと考へたからでもなく、巫女に附著した神霊を拝むものでもなく、巫女を媒介として神を観じて居るものゝやうである。
琉球神道に於て、香炉が利用せられたのは、何時からの事かは知られない。けれども、香炉を以て神の存在を示すものと考へ出してからは、元来あつたおとほし[#「おとほし」に傍線]の信仰が、自在に行はれる様になつた。女の旅行者或は、他国に移住する者は、必香炉を分けて携へて行く。而も、其香炉自体を拝むのでなく、香炉を通じて、郷家の神を遥拝するものと考へる事だけは、今に於ても明らかである。また、旅行者の為に香炉を据ゑて、其香炉を距てゝ、其人の霊魂を拝む事すらある。だから、村全体として、其移住以前の本郷の神を拝む為の御嶽拝所《オタケヲガン》を造る事も、不思議ではない。例へば、寄百姓で成立つて居る八重山の島では、小浜島から来た宮良《メイラ》の村の中に、小浜おほん[#「小浜おほん」に傍線]と称する、御嶽《オタケ》類似の拝所をおとほし[#「おとほし」に傍線]として居り、白保《スサブ》の村の中では、その本貫|波照間《ハテルマ》島を遥拝する為に、波照間おほん[#「波照間おほん」に傍線]を造つて居る。更に近くは、四箇《しか》の内に移住して来た与那国《ヨナクニ》島の出稼人は、小さな与那国おほん[#「与那国おほん」に傍線]を設けて居る。
此様におとほし[#「おとほし」に傍線]の思想が、様々な信仰様式を生み出したと共に、在来の他の信仰と結合して、別種の様式を作り出して居る所もあるが、畢竟、次に言はうとする楽土を近い海上の島とした所から出て、信仰組織が大きくなり、神の性格が向上すると共に、天を遥拝する為の御嶽拝所《オタケヲガン》さへも出来て来たのである。だから、御嶽《オタケ》は、遥拝所であると同時に、神の降臨地と言ふ姿を採る様になつたのである。

     三 霊魂

霊魂をひつくるめてまぶい[#「まぶい」に傍線]と言ふ。まぶり[#「まぶり」に傍線]の義である。即、人間守護の霊魂が外在して、多くの肉体に附著して居るものと見るのである。かうした考へから出た霊魂は多く、肉体と不離不即の関係にあつて、自由に遊離脱却するものと考へられて居る。だから人の死んだ時にも、肉霊を放つまぶいわかし[#「まぶいわかし」に傍線]と言ふ巫術が行はれる。又、驚いた時には、魂を遺失するものと考へて、其を又、身体にとりこむ作法として、まぶいこめ[#「まぶいこめ」に傍線]すら行はれて居る。
大体に於て、まぶい[#「まぶい」に傍線]の意義は、二通りになつて居る。即、生活の根本力をなすもの、仮りに名付くれば、精魂とも言ふべきものと、祟《タヽ》りをなす側から見たもの、即、いちまぶい[#「いちまぶい」に傍線](生霊)としにまぶい[#「しにまぶい」に傍線](死霊)とである。近世の日本に於ては、学問風に考へた場合には、精魂としての魂を考へることもあるが、多くは、死霊・生霊の用語例に入つて来る。
けれども古代には、明らかに精霊の守護を考へたので、甚しいのは、霊魂の為事に分科があるものとした、大国主の三霊の様なものすらある。
但、琉球のまぶい[#「まぶい」に傍線]は、魂とは別のものと考へられて居る。魂は、才能・伎倆などを現すもので、鈍根な人を、ぶたましぬむうん[#「ぶたましぬむうん」に傍線]と言ふのは、魂なしの者、即、働きのない人間と言ふ事になつて居る。又、たま[#「たま」に傍線]と言ふ語《ことば》を、人魂或は庶物の精霊に使用する例は、恐らく日本内地から輸入したもので、古くは無かつたものと思ふ。強ひて日琉に通ずる、たま[#「たま」に傍線]の根本義を考へると、一種の火光を伴ふものと言ふ義があるやうである。
精霊の点《トモ》す火の浮遊する事を、たまがり[#「たまがり」に傍線]=たまあがり[#「たまあがり」に傍線]と言ふのは、火光を以て、精霊の発動を知るとした信仰のなごりで、その光其自らが、たま[#「たま」に傍線]と言はれた日琉同言の語なのであらう。だからもとは、まぶい[#「まぶい」に傍線]は守護霊魂が精霊の火を現したのが、次第に変化して、霊魂そのものまでも、たま[#「たま」に傍線]と言ふ日本語であらはす事になつたのであらう。そして、魂が火光を有《も》つと言ふ考へを作る様になつたと思はれるのである。
此守護霊を、琉球の古語に、すぢ[#「すぢ」に傍線]・せぢ[#「せぢ」に傍線]・しぢ[#「しぢ」に傍線]など言うたらしい。近代に於ては、すぢ[#「すぢ」に傍線]或は、すぢゃあ[#「すぢゃあ」に傍線]は、人間の意味である。其義を転じて、祖先の意にも用ゐてゐる。普通の論理から言へば、すぢゆん[#「すぢゆん」に傍線]即、生れるの語根、すぢ[#「すぢ」に傍線]から生れるものゝ義で、すぢゃあ[#「すぢゃあ」に傍線]が人間の意に用ゐられる様になつたのだ、と言ふことが出来よう。然しながら、更に違つた方面から考へれば、すぢ[#「すぢ」に傍線]が活動を始めるのは、人間の生れることになるのだから、すぢ[#「すぢ」に傍線]を語根として出来たすぢゆん[#「すぢゆん」に傍線]が、誕生の動詞になつたとも見られよう。其点から見ると、すぢゆん[#「すぢゆん」に傍線]は、生るの同義語であるに拘らず、多くは、若返る・蘇生するなどに近い気分を有つて居るのは、語根にさうした意味のあるものと思はれる。後に言ふ、聞得大君御殿《チフイヂンオドン》の神の一なる、おすぢの御前[#「おすぢの御前」に傍線]は、唯、神と言ふだけの意味で、精しくは、金のみおすぢ[#「金のみおすぢ」に傍線]即、金の神、或は米の神、或は楽土(かない)の神と言ふ位の意味に過ぎない。而も其もとは、霊魂或は、精霊と言ふ位の処から出て居るのであらう。琉球国諸事由来記其他を見ても、すぢ[#「すぢ」に傍線]・せぢ[#「せぢ」に傍線]・ますぢ[#「ますぢ」に傍線]などを、接尾語とした神語がある。柳田国男先生は、此すぢ[#「すぢ」に傍線]をもつて、我国の古語、稜威《イツ》と一つものとして、まな[#「まな」に傍線]信仰の一様式と見て居られる。
とにかく、近代の信仰では、すべてが神の観念に飜訳せられて、抽象的な守護霊を考へる事が、出来なくなつて居る。けれども、長く引続いて居る神人礼拝の形式を溯つて見ると、さうした守護霊の考へられて居た事は、明らかである。
沖縄に於ては、妹《オナリ》をがみ・巫女《ノロ》をがみ・親《オヤ》をがみ・男《オメケリ》をがみ等の形を残して居る。
おもろさうし[#「おもろさうし」に傍線]巻二十二、てがねまるふし[#「てがねまるふし」に傍線]に、
[#ここから2字下げ]
きこゑ大きみが
おぼつ、せぢ、おるちへ
あんじ、おそいよみまぶて
[#ここで字下げ終わり]
と言ふ歌がある。此意味は
[#ここから2字下げ]
名にひゞく天子がことを言はむ。
楽土なるせぢ[#「せぢ」に傍線]をおろして、
大君主をみまもりてあらむ。
[#ここで字下げ終わり]
と言ふ位の意味である。此を見ても、せぢ[#「せぢ」に傍線]が神でなく、守護霊であることは、考へられる。又、くわいにや[#「くわいにや」に傍線]の例として、伊波普猷氏が引かれた、久高《クダカ》島のものには、かういふものがある。
[#ここから2字下げ]
にらいどに、おしよけて
かないどに、おしよけて
のろがすぢ、せんどう、しやうれ
主がすぢ、せんどう、しやうれ
きみがおすぢ、みおんつかひ、をがま
しゆうがおすぢ、みおんつかひ、をがま
[#ここで字下げ終わり]
此意味は、
[#ここから2字下げ]
楽土への渡りどに、大船おしうけてあれば、
此船に祈る巫女のすぢよ、せんどう、しませ。
天子のすぢよ、船頭しませ。
われはかくして、女君のおすぢを、をがみ迎へむ。
天子のおすぢを、をがみ迎へむ。
[#ここで字下げ終わり]
と言ふ意味であらうが、此は、巫女を拝み、君主を拝む事に因つて、それ/″\のすぢ[#「すぢ」に傍線]を拝む事になるので、古くから、此すぢ[#「すぢ」に傍線]と、すぢのつく人[#「すぢのつく人」に傍線]との間に、区別が著しくは立つて居らないのである。畢竟、我国古代の、あきつかみ[#「あきつかみ」に傍線]と言ふ語も、此すぢ[#「すぢ」に傍線]を有つ天子を、すぢ[#「すぢ」に傍線]自身とも観じたのである。即、主がおすぢ[#「おすぢ」に傍線]と同じことになる。但あきつかみ[#「あきつかみ」に傍線]に於ては、其すぢ[#「すぢ」に傍線]が、神に飜訳せらるゝほどに、日本の霊魂信仰が、夙《つと》に変化して居つたことを示して居る。

     四 楽土

琉球神道で、浄土としてゐるのは、海の彼方の楽土、儀来河内《ギライカナイ》である。さうして、其処の主宰神の名は、あがるいの[#「あがるいの」に傍線]大神《オホヌシ》といふ。善縄大屋子《ヨクツナウフヤコ》、海亀
次へ
全6ページ中1ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
折口 信夫 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング