ゃげ」に傍線]庭《ナア》と言ふ建て物の外の広場でゞある。又、唯あしゃげ[#「あしゃげ」に傍線]とばかり言ふ建て物がある。此は、根所々々の先祖を祀つてゐる建て物で、一軒建ちの、住宅と殆ど違ひのない、床もかいてある物である。此は正しくは、殿と言ふべきもので、根所之殿・里主所之殿など、書物にあるのが、其であらう。
殿《トノ》(又、とん)と言ふのにも、色々ある。右のやうな殿もあり、又、祝女殿内《ノロドンチ》(ぬるどのち=ぬんどんち)の様に、祝女の住宅を斥《サ》す事もある。が、畢竟、神を斎いてあるからの名で、なみの住宅には、殿とは言はぬ。琉球神道では、旧跡を重んじて、城趾・旧宅地などの歴史的の関係ある処には、必殿を建てゝ、祭日にのろ[#「のろ」に傍線]以下の神人の巡遊には、立ちよつて一々儀式がある。
殿[#「殿」に傍線]・あしゃげ[#「あしゃげ」に傍線]と区別のない建て物か、又建て物なしに必拝む場処がある。其が海中である事も、道傍の塚である事も、崖の窟《ガマ》である事もある。総称してをがん[#「をがん」に傍線]といふ。拝所即をがみ[#「をがみ」に傍線]である。
人形遣ひをちょんだらあ[#「ちょんだらあ」に傍線]と言ひ、其子孫を嫌つてゐるが、此に似て一種の特殊部落の如きねんぶつちゃあ[#「ねんぶつちゃあ」に傍線]と言ふのが、首里の石嶺に居る。此は葬式の手伝ひをし、亦人形を遣ふ。人形を踊らせる箱をてら[#「てら」に傍線]と称するが、内地のほこら[#「ほこら」に傍線]と同じやうなもので、寺とは全く違うてゐる。

     七 神祭りの処と霊代と

神の目標となるものは香炉である。建築物の中には、三体の火の神《カン》が置かれてあると同様に、神の在す場所には、必香炉が置いてある。それ故、その香炉の数によつて、家族の集合して居る数が知れる。琉球の遊廓へ、税務所の官吏が出張して尾類《ズリ》(遊女)の数を見定めるには、竈の側に置いてある香炉の数で知る事が出来ると言ふ。
香炉は、其置く場所を、臨時に変へることは出来ない。女は各自、必香炉を所有して居る。女には、香炉は附き物である。香炉がなければ、神の在る所がわからない。其ほど、香炉に対する信仰がある。形は壺の如きものや、こ穢い茶碗の縁の欠けた物等が、立派に飾られてある。香炉がある所には、神が存在すると信じて居る故、香炉が神の様になつて居る。拝所には、幾種類もの香炉がある。八重山のいび[#「いび」に傍線]と言ふ語は、香炉の事であると思ふが、先輩の意見は各異つて居る。
八重山には、御嶽に三つの神がある。又、かみなおたけ[#「かみなおたけ」に傍線]・おんいべおたけ[#「おんいべおたけ」に傍線]と言ふのがある。八重山のみ、いび[#「いび」に傍線]又はいべ[#「いべ」に傍線]と言ふ事を言ふが、他所のいび[#「いび」に傍線]とうぶ[#「うぶ」に傍線]とは異つて居る。うぶ[#「うぶ」に傍線]は、奥の事である。沖縄では、奥武と書いて居る。どれがいび[#「いび」に傍線]であるか、厳格に示す事は出来ないが、うぶ[#「うぶ」に傍線]の中の神々しい神の来臨する場所と言ふ意味であると思ふ。八重山の老人の話では、御嶽のうぶ[#「うぶ」に傍線]ではなくて、門にある香炉であると言つて居る。即、香炉を神と信ずる結果、香炉自体をいび[#「いび」に傍線]と言ふのである。処が火の神にも香炉がある。中には香炉だけの神もあるが、要するに自然的に香炉を神と信じて居る。其香炉が、又幾つにも分れる。香炉が分れるけれども、分れたとは言はないで、彼方の神を持つて来たと言ふ、言ひ方をする。つまり、嫁に行つたり、比較的長い間家を出て居るものは、香炉を作つて持つて行く。尾類《ズリ》(遊女)は、此例によつて、香炉を各自持参するのである。
沖縄には、遥拝所がある。三平《ミヒラ》の大阿母《ウフアム》しられ[#「しられ」に傍線]の殿内《ドンチ》即、南風《ハエ》の平《ヒラ》には首里殿内《シユンドンチ》、真和志の比等《ヒラ》には真壁殿内《マカンドンチ》、北《ニシ》の比等《ヒラ》には儀保殿内《ギボドンチ》なる巫女の住宅なる社殿を据ゑ、神々のおとほし[#「おとほし」に傍線]として祀つてある。即、遠方より香炉を据ゑて、本国の神を遥拝するのである。此遥拝する事から、色々の問題が出て来る。例へば、祝《ノロ》の家にも香炉があり、御嶽にも香炉がある。のろ[#「のろ」に傍線]は、家の香炉に線香を立てゝ御嶽に行く。時によると、香炉を中心にして社を造る事がある。沖縄の辺でも、久高島を遥拝する為に、べんが御嶽[#「べんが御嶽」に傍線]を作つて居り、八重山の中でも、よなぎ島[#「よなぎ島」に傍線]より来た人々は、よなぎおほん[#「よなぎおほん」に傍線]を作り、宮良村では、小浜村より渡来したのであるから、小浜おほん[#「小浜おほん」に傍線]を作り、各香炉を据ゑて、遥拝所として居る。又、白保《スサブ》村の波照間おほん[#「波照間おほん」に傍線]の如きも其である。此等は皆、御嶽に属して居るけれども、個人で言へば、尾類《ズリ》が竈に香炉を置いて遥拝するのと同様である。
一族の神を祀るは、女の役目である。其家の香炉を拝するのは、其家の女であると言ふ観念が先入主となつて、女の旅行には必、此香炉を持つて行く。此は男にはよく訣らないが、女は秘密裡に此等を保存して居る。家によると、香炉が沢山ある所がある。中には、理由の訣らぬ香炉が出て来る。大昔、其家を造つたと称する者の香炉が二つある。嫁した娘の若死によつて、持つて行つた香炉が戻つて来る。さうして居る間に、何年も経ると理由の訣らぬ香炉が出来て来る。八重山では、香炉の格好が大分異つて来る。香炉に、ふんじん[#「ふんじん」に傍線]と、かんじん[#「かんじん」に傍線](又はこんじん[#「こんじん」に傍線])の二種類がある。ふんじん[#「ふんじん」に傍線]は、其家の分れて後の先祖を祀るもので、本神とも言ふ意味である。こんじん[#「こんじん」に傍線]の名義は不明である。かんじん[#「かんじん」に傍線]は、女でなければ触れる事すら出来ない。其に供へた物は、女のみが食し得るものである。此は女でなければ、供へ物をする事は出来ないと言ふ意味である。かんじん[#「かんじん」に傍線]は、女の人の喰べ余りと言ふ解釈にもなる。かんじん[#「かんじん」に傍線]は、女の嫁入りする時に持つて行く。而して、仏壇が別である。ふんじん[#「ふんじん」に傍線]は男も拝する事が出来るけれども、かんじん[#「かんじん」に傍線]は女の専有物である。
沖縄本島では、自分の家の香炉を有つて来ても、別の場所に置いてある。自分の家の神は亭主が祀つてもよいが、嫁の持つて来た香炉は、女以外の人間の、全くどうする事も出来ないものである。こんじん[#「こんじん」に傍線]は、根神より出たものではなからうかと思ふ。

     八 色々の巫女

琉球の神話では、天地の初め、日の神下界を造り固めようとして、あまみきょ[#「あまみきょ」に傍線]・しねりきょ[#「しねりきょ」に傍線]に命じて、数多くの島を造らせた。それが後の有名な御嶽或は、森となつた。さうして其二柱の産んだ三男・二女が、人間の始めとなつてゐる。長男は国主の始め、二男は諸侯の始め、三男は百姓の始め、長女は君々《キミ/″\》の始め、二女は祝々《ノロ/\》の始めと称せられてゐる。
のろ[#「のろ」に傍線]は、始終ゆた[#「ゆた」に傍線]と対照して考へられる所から、君々《キミ/″\》はゆた[#「ゆた」に傍線]の元と考へられ勝ちであるが、男の方でも、三つの階級に分けて考へてゐる以上、女の方も亦、上級・下級二組の区別を見せたものと見てよいはずである。君《キミ》と祝《ノロ》とは、女官御双紙を見ても知れるやうに、琉球の女官と言ふ考へには、普通の后妃・嬪・夫人以下の女官と聞得大君《キコエウフキミ》・島尻の佐司笠按司《サスカサアジ》・国頭の阿応理恵按司《アオリヱアジ》などの神職を等しく女官として登録してゐる。思ふに君《キミ》と言ふのは、右の三神職の外に、首里|三比等《ミヒラ》の大阿母《ウフアム》しられ[#「しられ」に傍線]其他、歴史的に意味のついてゐる地方の大阿母《ウフアム》・阿母加奈志《アンガナシ》(伊平屋島)・君南風《ミキハエ》(久米島)など言ふ重い巫女たちを斥すものであらう。君南風《キミハエ》は、南君と言ふのと同じ後置修飾格で、南方に居る高級巫女の意である。毎年十二月、君々《キミ/″\》御玉改めと言ふ事があつて、三平等《ミヒラ》の大阿母《ウフアム》しられ[#「しられ」に傍線]の玉かわら[#「玉かわら」に傍線](巫女のつける勾玉)を調べたよし、由来記に見えてゐる。又、君《キミ》に三十三人あつた事は、女官御双紙に出てゐる。君々《キミ/″\》の祖、祝々《ノロ/\》の祖とあるのは、巫女の起原を説いたので、巫女に高下あるのは、其祖の長幼の順によつたのだ、とするのである。
女官の中、皇后の次に位し、巫女では最高級の聞得大君《チフイヂン》(=きこえうふきみ)は、昔は王家の処女を用ゐて、位置は皇后よりも高かつたのを、霊元院の寛文七年に当る年、席順を換へたのである。王家の寡婦が、聞得大君《チフイヂン》となる事になつたのも、可なり古くからの事と思はれる。昔は、琉球神道では、巫祝の夫を持つ事を認めなかつたのであらうが、段々変じて、二夫に見《まみ》えない者は、許す事になつたのである。地方豪族の妻を大阿母《ウフアム》・祝女《ノロ》などに任じた事も、可なり古くからの事らしい。唯形式だけでも、いまだに、独身を原則として居るのは、国頭《クニガミ》の巫女たちで、今帰仁《ナキジン》の阿応理恵《アオリヱ》は独身、辺土のろ[#「のろ」に傍線]は表面独身で、私生の子を育てゝゐる。其外のろ[#「のろ」に傍線]の夫の夭折を信じてゐる事も、国頭地方に強い。神の怨みを受けると信じてゐたのである。此は、国頭《クニガミ》地方が、北山時代からの神道を伝へて、幾分、中山・南山の神道と趣きを異にしてゐる所があるからであらう。久高島では、結婚の時、嫁が壻を避けて逃げ廻る習慣があつたが、其は夜分のことで、昼の間は現れて為事を手伝うたりした。夜になつて壻が大勢の友人と嫁を捜すのをとじとめゆん[#「とじとめゆん」に傍線]即|嫁《ヨメ》さがしと称する。此島には現在のろ[#「のろ」に傍線]が二人居るが、其一人の老婆は、七十余日の間逃げ廻つたと言ふので有名である。
聞得大君《チフイヂン》は、我が国の斎宮・斎院と同じ意味のもので、其居処|聞得大君御殿《チフイヂンオドン》は、琉球神道の総本山の様な形があつた。此琉球の斎王が、皇后の上に在つたと言ふ事は、琉球の古伝説に数多い、巫女と巫女の兄なる国主・島主の話を生み出した根元の、古代習俗であつたのである。
久高島の結婚の時に合唱する謡
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女神殿《ヰナグメガナサ》は、君《キミ》の愛《メデ》(?)。男神殿《ヰキガミガナサ》は、首里殿愛《スンヂヤナシメデ》。
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と言ふ文句は、新郎なる此島男は、国王に愛せられむ。新婦なる此女は、聞得大君《チフイヂン》に愛せられむとの意であらう。民間伝承にすら、此様に国王と、聞得大君とを双べ考へてゐる。
琉球本島を分けどつてゐた、昔の北山・南山・中山の三国は、各大同であつて小異を含んだ神道を持つてゐて、中山は聞得大君、南山は佐司笠按司《サスカサアジ》、北山は阿応理恵按司《アオリヱアジ》を最高の巫女としてゐたものであらう、と柳田先生も、伊波氏も言うてゐられる。其三巫女の代理とも言ふべきものを、首里三|平等《ヒラ》(台地)に置いた。南風《ハエ》の平等《ヒラ》には首里殿内《シユンドンチ》、真和志の平等《ヒラ》には真壁殿内《マカンドンチ》、北《ニシ》の平等《ヒラ》には儀保殿内《ギボドンチ》なる巫女の住宅なる社殿を据ゑて、三つの台地に集めた、三山豪族たちの信仰の中心にしてあつた。而も、殿内々々には、聞得大殿同様の祭神を祀らして居た。此等の殿
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