[#「まぶい」に傍線]は守護霊魂が精霊の火を現したのが、次第に変化して、霊魂そのものまでも、たま[#「たま」に傍線]と言ふ日本語であらはす事になつたのであらう。そして、魂が火光を有《も》つと言ふ考へを作る様になつたと思はれるのである。
此守護霊を、琉球の古語に、すぢ[#「すぢ」に傍線]・せぢ[#「せぢ」に傍線]・しぢ[#「しぢ」に傍線]など言うたらしい。近代に於ては、すぢ[#「すぢ」に傍線]或は、すぢゃあ[#「すぢゃあ」に傍線]は、人間の意味である。其義を転じて、祖先の意にも用ゐてゐる。普通の論理から言へば、すぢゆん[#「すぢゆん」に傍線]即、生れるの語根、すぢ[#「すぢ」に傍線]から生れるものゝ義で、すぢゃあ[#「すぢゃあ」に傍線]が人間の意に用ゐられる様になつたのだ、と言ふことが出来よう。然しながら、更に違つた方面から考へれば、すぢ[#「すぢ」に傍線]が活動を始めるのは、人間の生れることになるのだから、すぢ[#「すぢ」に傍線]を語根として出来たすぢゆん[#「すぢゆん」に傍線]が、誕生の動詞になつたとも見られよう。其点から見ると、すぢゆん[#「すぢゆん」に傍線]は、生るの同義語である
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