の日本に於ては、学問風に考へた場合には、精魂としての魂を考へることもあるが、多くは、死霊・生霊の用語例に入つて来る。
けれども古代には、明らかに精霊の守護を考へたので、甚しいのは、霊魂の為事に分科があるものとした、大国主の三霊の様なものすらある。
但、琉球のまぶい[#「まぶい」に傍線]は、魂とは別のものと考へられて居る。魂は、才能・伎倆などを現すもので、鈍根な人を、ぶたましぬむうん[#「ぶたましぬむうん」に傍線]と言ふのは、魂なしの者、即、働きのない人間と言ふ事になつて居る。又、たま[#「たま」に傍線]と言ふ語《ことば》を、人魂或は庶物の精霊に使用する例は、恐らく日本内地から輸入したもので、古くは無かつたものと思ふ。強ひて日琉に通ずる、たま[#「たま」に傍線]の根本義を考へると、一種の火光を伴ふものと言ふ義があるやうである。
精霊の点《トモ》す火の浮遊する事を、たまがり[#「たまがり」に傍線]=たまあがり[#「たまあがり」に傍線]と言ふのは、火光を以て、精霊の発動を知るとした信仰のなごりで、その光其自らが、たま[#「たま」に傍線]と言はれた日琉同言の語なのであらう。だからもとは、まぶい
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