あらう。或は、由来記を信じれば、月神が穀物の神とせられてゐる例は、各国に例のあること故、御月《オツキ》の御前《オマヘ》に宛てゝ考へることが出来さうである。
御すぢの御前[#「御すぢの御前」に傍線]は、琉球最初の陰陽神たるあまみきょ[#「あまみきょ」に傍線]・しねりきょ[#「しねりきょ」に傍線]の親神なる太陽神即、御日《オチダ》の御前《オマヘ》を、祖先神と見たのだと解釈せられよう。琉球神道の主神は、御日《オチダ》の御前《オマヘ》で、やはり太陽崇拝が基礎になつてゐる。国王を、天加那志《チダカナシ》(又は、おちだがなし、首里ちだがなし)と言ふのも、王者を太陽神の化現即、内地の古語で言へば、日のみ子[#「日のみ子」に傍線]と見たのであるらしい。
祖先崇拝の盛んな事、其を以て、国粋第一と誇つてゐる内地の人々も、及ばぬ程である。旧八月から九月にかけて、一戸から一人づゝ、一門中一かたまりになつて遠い先祖の墓や、一族に由緒ある土地・根所、其外の名所・故跡を巡拝して廻る神拝みと言ふ事をする。首里・那覇辺から、国頭《クニガミ》の端まで出かける家すらある。単に此だけで、醇化せられた祖先崇拝と言ふ事は出来ない
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