ろ」に傍線]を根神より新しく、琉球の宗教思想に大勢力のある祖先崇拝も、琉球神道の根源とは見られないのである。
内地の神道にも、産土神・氏神の区別は、単に語原上の合理的な説明しか出来て居ないが、第二期以後の神道には、所謂産土神を祀る神人と、氏神に事へる神人とが対立して居た事が思はれる。厳格に言へば、出雲国造の如きも、氏神を祀つてゐたのではない。のろ[#「のろ」に傍線]は謂はゞ、産土神の神主と言うてよいかも知れぬ。
のろ[#「のろ」に傍線]・根神の問題から導かれるのは、ゆた[#「ゆた」に傍線](ゆんた・よた)の源流である。伊波氏は、ゆんた[#「ゆんた」に傍線]はしやべる[#「しやべる」に傍線]の用語例を持つてゐるから、神託を告げる者と言ふのと、八重山で、ゆんた[#「ゆんた」に傍線]と言ふのは、歌といふ事だから、託宣の律語を宣《の》るものとの、二通りの想像を持つてゐられる様に見える。佐喜真興英氏は、のろ[#「のろ」に傍線]よりもゆた[#「ゆた」に傍線]が古いものだらうと演説せられてゐる(南島談話会)。私は、女官御双紙《ニヨクワンオサウシ》に見えた、国王|下庫裡《シタゴリ》への出御や、他へ行幸のをり、いつも先導を勤める女官よたのあむしられ[#「よたのあむしられ」に傍線]と関係がないかと想像してゐる。場合は違ふが、天子神事の出御に必先導するのは、我が国では、大巫《オホミカムコ》の為事になつて居た。王の行幸に、凶兆のある時は、君真者《キンマムン》現れて此を止める国柄ゆゑ、行幸・出御に与る此女官に、さうした予知力ある者を択んで日時《トキ》の吉凶を占はしたので、ときゆた[#「ときゆた」に傍線]などいふ語も出来たのか、よた[#「よた」に傍線](枝)の義の分化に、尚多く疑ひはあるが、此方面から見る必要があり相である。よたのあむしられ[#「よたのあむしられ」に傍線]の今は伝らぬ職分の、地方に行はれたのが、ゆた[#「ゆた」に傍線]の呪術ではあるまいか。正当なのろ[#「のろ」に傍線]・根神などの為事から逸れた岐路といふので、ゆた[#「ゆた」に傍線]神人《カミンチユ》と言うたのが語原ではあるまいか。此点から見れば、よたのあむしられ[#「よたのあむしられ」に傍線]も、神事から分岐した為事に与る女官の意かも知れぬ。
久高島久高のろ[#「のろ」に傍線]の夫、西銘《ニシメ》松三氏の話では「根神はしゆん
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