なつてゐる。長男は国主の始め、二男は諸侯の始め、三男は百姓の始め、長女は君々《キミ/″\》の始め、二女は祝々《ノロ/\》の始めと称せられてゐる。
のろ[#「のろ」に傍線]は、始終ゆた[#「ゆた」に傍線]と対照して考へられる所から、君々《キミ/″\》はゆた[#「ゆた」に傍線]の元と考へられ勝ちであるが、男の方でも、三つの階級に分けて考へてゐる以上、女の方も亦、上級・下級二組の区別を見せたものと見てよいはずである。君《キミ》と祝《ノロ》とは、女官御双紙を見ても知れるやうに、琉球の女官と言ふ考へには、普通の后妃・嬪・夫人以下の女官と聞得大君《キコエウフキミ》・島尻の佐司笠按司《サスカサアジ》・国頭の阿応理恵按司《アオリヱアジ》などの神職を等しく女官として登録してゐる。思ふに君《キミ》と言ふのは、右の三神職の外に、首里|三比等《ミヒラ》の大阿母《ウフアム》しられ[#「しられ」に傍線]其他、歴史的に意味のついてゐる地方の大阿母《ウフアム》・阿母加奈志《アンガナシ》(伊平屋島)・君南風《ミキハエ》(久米島)など言ふ重い巫女たちを斥すものであらう。君南風《キミハエ》は、南君と言ふのと同じ後置修飾格で、南方に居る高級巫女の意である。毎年十二月、君々《キミ/″\》御玉改めと言ふ事があつて、三平等《ミヒラ》の大阿母《ウフアム》しられ[#「しられ」に傍線]の玉かわら[#「玉かわら」に傍線](巫女のつける勾玉)を調べたよし、由来記に見えてゐる。又、君《キミ》に三十三人あつた事は、女官御双紙に出てゐる。君々《キミ/″\》の祖、祝々《ノロ/\》の祖とあるのは、巫女の起原を説いたので、巫女に高下あるのは、其祖の長幼の順によつたのだ、とするのである。
女官の中、皇后の次に位し、巫女では最高級の聞得大君《チフイヂン》(=きこえうふきみ)は、昔は王家の処女を用ゐて、位置は皇后よりも高かつたのを、霊元院の寛文七年に当る年、席順を換へたのである。王家の寡婦が、聞得大君《チフイヂン》となる事になつたのも、可なり古くからの事と思はれる。昔は、琉球神道では、巫祝の夫を持つ事を認めなかつたのであらうが、段々変じて、二夫に見《まみ》えない者は、許す事になつたのである。地方豪族の妻を大阿母《ウフアム》・祝女《ノロ》などに任じた事も、可なり古くからの事らしい。唯形式だけでも、いまだに、独身を原則として居るのは、国頭《ク
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