。常に其背後には、墓に対する恐怖と、死霊に対する諂《コ》び仕への心持ちが見えてゐる。

     六 神地

琉球神道では、神の此土に来るのは、海からと、大空からとである。勿論厳密に言へば、判然たる区別はなくなるのであるが、ともかく此二様の考へはある様である。空から降ると見る場合を、あふり[#「あふり」に傍線]・あをり[#「あをり」に傍線]・あもり[#「あもり」に傍線]など言ふ。皆|天降《アモ》りと一つ語原である。山や丘陵のある場合には、其に降るのが、古式の様だが、平地にも降る事は、間々ある。但、其場合は喬木によつて天降るものと見たらしい。蒲葵《クバ》(=びらう)の木が神聖視されるのは、多く此木にあふり[#「あふり」に傍線]があると見たからである。蒲葵の木が、最神聖な地とせられてゐる御嶽《オタケ》の中心になり、又さなくともくば[#「くば」に傍線]・こぼう[#「こぼう」に傍線]・くぼう[#「くぼう」に傍線]など言ふ名を負うた御嶽の多いのは、此信仰から出たのである。
神影向の地と信じて、神人の祭りの時に出入《でいり》する外、一切普通の人殊に男子を嫌ふ場処が、御嶽《オタケ》である。神は時あつて、此処に凉傘《リヤンサン》を現じて、其下にあふる[#「あふる」に傍線]のである。首里王朝の頃は、公式に凉傘《リヤンサン》の立つ御嶽と認められて居たものは、極つて居た。併し、間切々々《マギリ/″\》の御嶽の神々も、凉傘《リヤンサン》を下してあふる[#「あふる」に傍線]のが、古風なのである。御嶽のある地を、普通|森《モリ》といふ。「もり」は丘陵の事である。高地に神の降るのが原則である為の名に違ひない。其が、内地の杜《モリ》と同じ内容を持つ事になつたのである。
神は御嶽《オタケ》に常在するのではないが、神聖視する所から、いつでも在《イマ》す様に考へられもする。内地の杜々《モリ/\》の神も、古くは社を持たなかつたに相違ない。三輪の如きは「三輪の殿戸」の歌を証拠として、社殿の存在した事を主張する人も出て来たが、あの歌だけでは、此までの説を崩すまでにはゆかぬ。杜《モリ》・神南備《カムナビ》などは、社殿のないのが本体で、社あるは、家《ヤカ》つ神《ガミ》或は、梯立で昇り降りするほくら[#「ほくら」に傍線]の神から始まるのである。社ある神と、ない神とが、同時に存在したのは、事実である。社殿に斎《いつ》
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