かなかつた神は、恐らく御嶽と似た式で祀られてゐたものであらう。
処によつては、極めて稀に、御嶽の中に、小さな殿を作つてゐる処もある。此は必、祭儀の必要から出来たもので、神の在り処でないであらう。
御嶽は、神人《カミンチユ》の外は入れない地方と、女ならば出入を自由にしてあるところとがある。女には、神人となる事の出来る資格を認めるからと思はれる。どの地方でも、男は絶対に禁止である。島尻の斎場《サイフア》御嶽でも、近年までは、女装を学ばねば這入れぬ事になつてゐた。
大きな御嶽《オタケ》なら、其中に、別に歌舞《アソビ》をする場処がある。久高の仲の御嶽《オタケ》の如きが其である。併し多くは、其為に神あしゃげ[#「神あしゃげ」に傍線]がある。
神あしゃげ[#「神あしゃげ」に傍線]多くは、神あさぎ[#「神あさぎ」に傍線]と言ふ。神あしあげ[#「神あしあげ」に傍線]の音転である。建て物の様式から出た名であらう。此建て物は、原則として、柱が多く、壁はなく、床を張らぬ事になつてゐる。天地根元宮造りの、掘《ホ》つ立ての合掌式の、地上に屋根|篷《トマ》の垂れたのから、一歩進めたものであらう。古式なのは、桁行《ケタユキ》長く、梁間《ハリマ》の短い三尺位の高さのもので、地に掘つ立てた数多い叉木《マタギ》で、つき上げた形に支へられてゐる。つまり伏せ廬の足をあげたものであるからの名と思はれる。此式は国頭《クニガミ》地方に多いが、外の地方は、大抵屋根は瓦葺き、柱は厚さの薄い物に、緯《ヌキ》を沢山貫いて、柱間一つだけを入り口として開けてゐる。勿論丈も高くなつて、屈むに及ばない。中はたゝき[#「たゝき」に傍点]になつて居て、一隅に火の神の三つ石を、炉の形にした凹みに据ゑてある。大抵|御嶽《オタケ》からは遠く、祝女殿内《ノロドンチ》からは近い。御嶽《オタケ》に影向あつたり、海から来た神を迎へて、此処で歌舞《アソビ》をする。其中では、祝女《ノロ》を中心に、根神おくで[#「根神おくで」に傍線]其他の神人《カミンチユ》が定まつた席順に居並ぶ。其中のあすびたもと[#「あすびたもと」に傍線]と言ふ神人《カミンチユ》が、のろ[#「のろ」に傍線]等の謳ふ神歌《オモロ》(おもろ双紙[#「おもろ双紙」に傍線]の内にあるものでなく、其地方々々の神人の間に伝承してゐるもの)で、舞ふのである。舞ふのは勿論、右のあしゃげ[#「あし
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