ヘ》と言ふ事になつて居た。
尚《シヤウ》王家の宗廟とも言ふべき聞得大君御殿《チフイヂンオドン》並びに、旧王城正殿|百浦添《モンダスイ》の祭神は、等しく御日《オチダ》・御月《オツキ》の御前《オマヘ》・御《オ》火鉢の御前《オマヘ》(由来記)であるが、女官|御双紙《オサウシ》などによると、御《オ》すぢの御前《オマヘ》・御火鉢の御前《オマヘ》・金の美御《ミオ》すぢの御前《オマヘ》の三体、と言ふ事になつて居る。伊波普猷氏は、御《オ》すぢの御前《オマヘ》を祖先の霊、御火鉢の御前《オマヘ》を火の神、金の美御すぢを金属の神と説いて居られる。前二者は疑ひもないが、金の美おすぢ[#「金の美おすぢ」に傍線]は、日月星辰を鋳出した金物の事かと思はれる節〔荻野仲三郎氏講演から得た暗示〕がある。併し語どほりに解すると、かね[#「かね」に白丸傍点]は、おもろ[#「おもろ」に傍線]・おたかべ[#「おたかべ」に傍線]の類に、穀物の堅実を祝福する常套語で、又かねの実《ミ》ともいふ。みおすぢ[#「みおすぢ」に傍線]の「み[#「み」に白丸傍点]」が「実《ミ》」か「御《ミ》」かは判然せぬが、いづれにしても、穀物の神と見るべきであらう。或は、由来記を信じれば、月神が穀物の神とせられてゐる例は、各国に例のあること故、御月《オツキ》の御前《オマヘ》に宛てゝ考へることが出来さうである。
御すぢの御前[#「御すぢの御前」に傍線]は、琉球最初の陰陽神たるあまみきょ[#「あまみきょ」に傍線]・しねりきょ[#「しねりきょ」に傍線]の親神なる太陽神即、御日《オチダ》の御前《オマヘ》を、祖先神と見たのだと解釈せられよう。琉球神道の主神は、御日《オチダ》の御前《オマヘ》で、やはり太陽崇拝が基礎になつてゐる。国王を、天加那志《チダカナシ》(又は、おちだがなし、首里ちだがなし)と言ふのも、王者を太陽神の化現即、内地の古語で言へば、日のみ子[#「日のみ子」に傍線]と見たのであるらしい。
祖先崇拝の盛んな事、其を以て、国粋第一と誇つてゐる内地の人々も、及ばぬ程である。旧八月から九月にかけて、一戸から一人づゝ、一門中一かたまりになつて遠い先祖の墓や、一族に由緒ある土地・根所、其外の名所・故跡を巡拝して廻る神拝みと言ふ事をする。首里・那覇辺から、国頭《クニガミ》の端まで出かける家すらある。単に此だけで、醇化せられた祖先崇拝と言ふ事は出来ない
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