俗化せられるに従うて、固有の大祓へ思想と復活融合を来したので、半年の間に堆積した穢れや罪を、禊《ミソ》ぎ棄つる二度の大祓への日に、精霊が帰つて来るといふことになつた。死の穢れを忌んだ昔の人にも、当然有縁の精霊は迎へねばならぬとなれば、穢れついでに大祓への日に呼び迎へて、精霊を送り帰した後に、改めて禊ぎをするといふ考へは、自然起るべき事である。兼好の時分、既に珍らしがられた師走の霊祭《タマヽツ》りは、今日に於ては、其面影をも残してゐないのは、然るべき事である。
古代に於ける人の頭には、をりふしの移り変り目は、守り神の目が弛んで、害物のつけ込むに都合のいゝ時であるとの考へがあつた。それ故、季節の推移する毎に、様々な工夫を以て悪魔を払うた。五節供は即此である。盂蘭盆の魂祭りにも、此意味のある事を忘れてはならぬ。
魂迎へには燈籠を掲げ、迎へ火を焚く。此はみな、精霊の目につき易からしむる為である。
幽冥界に対する我祖先の見解は、極めて矛盾を含んだ曖昧なものであつた。大空よりする神も、黄泉《ヨミ》よりする死霊も、幽冥界の所属といふ点では一つで、是を招き寄せるには、必目標を高くせねばならぬと考へてゐ
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