い。
地獄の釜の休日が、三度あるといふ事は、単に明治・大正の不整頓な社会に放たれた皮肉だと思うてはならぬ。一月・二月・七月・九月・十二月の五回に精霊が戻つて来るものと、古くから信じられてゐた。徒然草の四季の段の終りにも、此頃は都でははやらないが、大晦日の晩に、東国では精霊が来るといふ風に見えてゐる。五度行うた精霊会が、南北朝の頃には、社会的の勢力を失うて、唯一回の盂蘭盆会に帰趨した痕を示したのであるが、七月の盂蘭盆と十二月の魂祭《タマヽツ》りとは、必古の大祓への遺風であると信じる。かういふ事をいふと、実際神仏混淆の形はあるが、諸君が心中に不服を抱かれる前に、一考を煩はしたい問題がある。
其は民族心理の歴史的根拠を辿つて行つた時に、逢着する事実である。外来の風習を輸入するには、必在来のある傾向を契機としてゐるので、此が欠けてゐる場合には、其風習は中絶すべき宿命を持つてゐるのである。だから力強い無意識的の模倣をする様になつた根柢には、必一種国民の習癖に投合する事実があるのである。
斉明天皇の三年に、飛鳥寺《アスカテラ》の西に須弥山の形を造つたといふ、純粋の仏式模倣の行事が、次第に平民化・通
前へ 次へ
全20ページ中2ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
折口 信夫 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング