お露の乳母が提げて来た牡丹燈籠もこれなのだ。「畦道や切籠燈籠に行き逢ひぬ」といふ古句は、かうした場合を言うたものであらう。
かういふ風に迎へられた精霊は、所謂畑の鼻曲りなる牛馬の脊に乗つて来るのである。盆が済むと、蓮の葉や青薦《アヲゴモ》に捲いて、川に流す瓜や茄子は、精霊の依代となつたものだから流すので、単に供物であるならば、お撤《サガ》りを孝心深い児孫が御相伴せないではゐない筈である。
精霊流しの一脈の澪《ミヲ》を伝うて行くと、七夕の篠《サヽ》や、上巳の雛に逢着する。五月の鯉幟も髯籠の転化である。昔京の大原で、正月の門飾りには、竹と竹とに標《シ》め縄《ナハ》をわたして、其に農具を吊り懸けたものだと云ふ。此は七夕は勿論、盂蘭盆にも通じた形式で、地方によつては、仏壇の前に二本の竹をたて、引き渡した麻縄に畑の作物を吊つて居る。
門松ばかりが春を迎ふる門飾りではなかつた。古くはかの常盤木をも立て栄《ハヤ》した事は証拠がある。標山《シメヤマ》を作つて神を迎へるのに、必しも松ばかりに限らなかつたものと見える。但、門松に添へた梅は贅物で、剥ぎ竹は年占のにう木[#「にう木」に傍線]の本意の忘れられた
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