精霊であれ、対象に区別なく同じ依代を用ゐるものとすれば、様々な方向に分化して行つた痕を見る事が出来ねばならぬ筈であるが、面白いのは、彼の盂蘭盆の切籠《キリコ》燈籠である。其名称の起りに就ては様々な説はあるが、切籠はやはり単に切り籠で、籠の最《もつとも》想化せられたものといふべく、其幾何学的の構造は、決して偶然の思ひつきではあるまい。盂蘭盆|供燈《クトウ》や目籠の習慣を参酌して見て、其処に始めて其起原の暗示を捉へ得る。
即、供燈《クトウ》の形式に精霊誘致の古来の信仰を加味したもので、精霊は地獄の釜を出ると其まゝ、目当は此処と定めて、迷はず、障らず、一路直ちに寄り来る次第であつて、唯恐るべきは無縁の精霊であるが、それ将、応用自在な我々の祖先はこの通り魔同様の浮浪者《ウカレモノ》の為に、施餓鬼といふ儀式を準備して置いたものである。
要するに、切籠の枠は髯籠の目を表し、垂れた紙は、其髯の符号化した物である。切籠《キリコ》・折掛《ヲリカケ》・高燈籠を立てた上に、門火を焚くのは、真に蛇足の感はあるが、地方によつては魂送りの節、三昧まで切籠共々、精霊を誘ひ出して、これを墓前に懸けて戻る風もある。かの
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