ある。平安朝の貴族社会に用ゐられた髯籠は、容れ物としての外に、既に花籠の意味を持つてゐたらしく思はれる。
正月の飾りものなる餅花・繭玉はどうかすると、春を待つ装飾と考へられてゐる様であるが、もと/\素朴な鄙《ヒナ》の手ぶりが、都会に入つて本意を失うたもので、実は一年間の農村行事を予め祝ふにう木[#「にう木」に傍線]といふものゝ類で、更に古くは、祈年祭《トシゴヒマツリ》風に神を招き降す依代であつたと思はれる。それで先づ、近世では、十四日年越しから小正月にかけて飾るのを、本意と見るべきであらう。地方によると、自然木、たとへば柳・欅・榎など、小枝の多い木を用ゐるほかに、竹を裂いて屋根に上げるものもある相である。
全体、祈年祭を二月に限るものゝ様に考へるのは即神社神道で、農村では、田畑の行事を始める小正月に行うてゐる。京の祇園に削りかけ[#「削りかけ」に傍線]を立てゝ豊作を祈るのも、大晦日《オホツゴモリ》の夜から元朝へかけての神事ではないか。大晦日と、十四日年越しと、節分とは、半月内外の遅速はあるが、考へ方によつては、同じ意味の日で、年占《トシウラ》・祈年《トシゴヒ》・左義長《トンド》・道祖神
前へ 次へ
全20ページ中12ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
折口 信夫 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング