「こぶし」かの女学生を演じて、舞台で上半身肌脱ぎになって化粧する場面を見せたなどは、芝居の方からは謂《い》わば邪道である。歌右衛門がその天賦の麗質によほどの自信があったからでもあるが、それを又人々が喜んだのだった。思えば女形としては突拍子もないことであるが、歌右衛門はこのように、素に持っていた美しさを、芸と一所くたにして見せた。この点、彼は実に錯覚を起させた役者である。彼は余りに美しく、己もその美しさに非常な自信を持って居り、その自信の重さが、彼の芸の重々しい質を作ったので、一つは晩年体も次第に利かなくなったことにもよるが、とにかく動きの少い役をする事になった。だから歌右衛門という役者は、死ぬまで本道に上手下手がわからずにすんだと思う。梅幸も美しい女形であって、その唯一つの欠点は下唇の突き出ている事だけだが、これが又一つの彼の舞台美でもあったのである。つまり醜のある強調から生ずる美である。こうして美しい東京の女形は、女優にだんだん近いものになってしまった。
だが大阪には今に、きたない女形がいる。近代の大阪の女形で一番美しいのは、何といっても今の中村梅玉であろう。
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政治郎時代の梅玉が明治三十年に東京で八重垣姫をした頃の美しさなどは、素晴しいものだった。一体に東京の芝居に出入りする連衆は大阪芝居を非常に軽蔑《けいべつ》していて、大阪というと何でもけなしつけるのだが、その自信の強い東京の見物も、是だけは文句なしに参ったのである。尤《もっとも》、最近の娘形は、薹《とう》が立つ以上にすさまじいものになってしまったけれども。
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これほど美しい女形は大阪にはない。もと成太郎といって、沢村源之助の四十年代の芝居によく女形をした中村魁車になると、素顔はそれほどでないが、舞台顔は今でもよい。併しこれ以外に近代の大阪に美しい女形はない。この梅玉・魁車、更にさかのぼって雀右衛門あたり以上に古くなると美しい女形というものはまるで見当らない。私の見た時代は女形|凋落《ちょうらく》時代で、大概みんな化け猫女形ばかりであった。又|歌舞妓《かぶき》芝居には、見物にとって舞台に出て来る役者は、一種の記号のようなもので、美しい顔をしていようが汚い顔していようが、ともかく舞台で役者が動いていればよいので、あとは見物がめいめい勝手に幻想のようなもので、いろいろに芝居を作ってしまうようなところがある。だから女形の顔の美醜などは、以前は、それ程大した問題にはならなかったと言えると思う。今の映画俳優にも、此は大いに共通の事実がある。東京ではこの源之助のように素顔もよく、舞台顔としては殆完全な女形として、その源之助の前の沢村田之助も有名な美しい女形であり、更に岩井半四郎も眼千両と謂われた役者である。江戸の女形は早くから美しくなった傾向が考えられるのである。源之助の美しかったことに就いては、明治三十五年上演の「小笠原騒動」のお大の方という草刈り女から大名の愛妾《あいしょう》になったという女に扮《ふん》した時の批評に、贋阿弥の「国を傾ける艶色という柄にははまりました」とあることによっても窺《うかが》われる。そしてその美しさは、毒婦型・悪婆型の女形としては極めて適切だった。田之助・半四郎の後にその代りになるには源之助よりほかになかった。
前に言った通り源之助は若い時分から、「妲妃のお百」をやらせて、人々が田之助の幻影を見て喜んだという歴史を持っているのもそのためであった。これは明治六年に書かれた脚本で、元来田之助のために書かれたものなのだが、田之助の後、三津五郎を経て、源之助がさせられたのである。江戸末期に絶えんとした毒婦型・悪婆型を、一時、間に合せに源之助がさせられたのだが、それが源之助の役柄を決定してしまったのであった。こうして源之助は人々の渇望に応えて華々しく世に出たのであるが、それは又一面彼にとって不幸なことでもあった。

   三

昔から歌舞妓芝居は女形の演ずる女を、悪人として扱っていない。立女形や娘役には、昔から悪人が少い。昔の見物は、悪人の女を見ようとしなかったのである。其処に、新しい領域が江戸末期に発見された。舞台の女が悪いことをするということは、つまりそれだけ相手役がいじめられることで、それを見物の方でも自分自分に感じて楽しむという――まあ訣《わか》り易くいえば一種のまぞひずむ[#「まぞひずむ」に傍線]だが、これが源之助の芸の場合には大切な解釈であったのだ。これは又、女形の領域が広くなったことで、江戸歌舞妓にとっても大事なことであった。
一体女形は人間としては存外善人ではない。例えば敵役も、立敵の役のようなものは立役と並んだ大役であるから、舞台の上では重々しくて、やたらに打ったり叩いたりへらず口をきいたりすることは
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