役者の一生
折口信夫

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)其儘《そのまま》

|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)その前後|大凡《おおよそ》源之助

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   (数字は、JIS X 0213の面区点番号、または底本のページと行数)
(例)薩※[#「土へん+垂」、第3水準1−15−51]《さった》峠
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   一

沢村源之助の亡くなったのは昭和十一年の四月であったと思う。それから丁度一年経って木村富子さんの「花影流水」という書物が出た。木村富子さん、即、錦花氏夫人は今の源之助の継母かに当る人であるから、よい書物の筈である。此には「演芸画報」に載った源之助晩年の芸談なる「青岳夜話」を其儘《そのまま》載せてある。これには又、彼の写真として意味のあるのを相当に択んで出している。成程、源之助は写真にうつるのが上手であった。と言うのは彼の姉が――縁のつづき合いは知らぬが、日本の写真商売にとっては、大先輩だった――伊井蓉峰の父親の北庭筑波の門に入って写真を習い、新富町に塙芳野という表徳で、写真屋を営んでいた。そういう関係で源之助は写真のぽうずを自分で、取ることが得意だったのである。
河合武雄が最近亡くなったので、これで河合の芸風も消えるであろうが、この人は源之助の芸の正統を新派畠に打ちこんで継いだ形になる人である。父親は地位は低かったが、源之助とよく一座した大谷馬十である。河合は若い時旧派の役者になろうとして(外の事情は知らぬ)大阪に奔《はし》り、その前後|大凡《おおよそ》源之助の影響を受けて了った。河合の動きや、きまり方には、晩年迄源之助の気合いの入れ方が働いていた。ともあれ源之助の格を一番正面から取っていたのは、河合であっただけに、源之助が死に、河合がこの世を去った今日、源之助の芸風の絶えて了うだろうと言うことが、しみじみ感じられる。
源之助の時代は四十年位続いたが、その間悪婆即、一口に言うと――毒婦ものが彼の芸として通った。ああいう芸は模倣し易い訣《わけ》だが、どういう訣か、此きりで無くなり相だ。源之助の名を継いだ五代目はまだ若いし、先代市川|松蔦《しょうちょう》よりは融通はきくが、まだその年にも達していない。器量はもっと、あれを悪くした顔で、悪婆ものには、第一条件が、欠けている。悪婆は背が高くなくても、そう見える姿で、顔が美しく、声の調子のよい、まともに行けば、江戸の下町女房を役どころとする風格を持っていなければならぬ。
次に源之助の芸は、どこから来ているのだろう。第一は五代目菊五郎から出ている。菊五郎は立役の方でも、源之助に影響を与えているが、女形の方の影響を殊に多く与えた。芸の固まる時分に一番菊五郎の相手もしたし、芸に触れた為である。処で、菊五郎の方は、女形の芸は誰からとったかというと、それは沢村田之助だろう。田之助の舞台をよく観察していて、それをよく補正した人である。一体尾上家は江戸へ来た始めから、上方の女形として下った家柄である。五代目が田之助或は先輩の岩井半四郎などの芸をよく見ていたのは、尾上家の伝統を正しく襲《つ》ぐ者であった。一つには、九代目団十郎に対抗する為には、団十郎の為難《しにく》い所に出ねばならぬという事情があった。団十郎は、女形にはまず、極度に不向きであったからである。
源之助は生涯自分の持って生れた容貌や才能に頼み過ぎて、血の出る程せっぱつまった苦しい勉強をしなかった替りに、そういう菊五郎の影響が出て来た。彼の身についているものといえば、五代目の型ばかりであった。しかし容貌から言えば、五代目よりも、源之助の方がずっと好かったに相違ない。しかも五代目の忠実な模倣者というよりは、感受した印象を分析してばかりいた人であった。
源之助の出身は、大阪島の内の南西の端で、明治元年には十歳になっていたであろう。木綿橋の近所である。一方、浜側には此時分二三の興行物が出ていた。その近所で、露地《ろうじ》があちこちにあって、芸人の住いがあった。今も宗右衛門町にある、富田屋のお勇が生んだのだ、というのは確かだ相である。島の内船場の大檀那《おおだんな》の生ませた子ということになっているが、源之助の容貌を見ると、大阪の中村宗十郎とどうも似て、下顎《したあご》の少し張った美しい顔をしている。一体に芝居者は、色町で誕生する子同様、親子の関係が薄いのである。私には宗十郎の子らしい気がしてならぬ。宗十郎は九代目に対しては、東京へ来ても同格で、自分から屈しなかった人であるが、この人が源之助を目にかけ、一人前の女形にしようとしたのである。
生れたのは大阪であったが、源之助は小さい時分に東京へ来て、その当時の源之助(三代目)の子になり、沢村家のよい名
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