へますと、それは、本家が、分家の数だけの柱を立てるらしいのです。盆や正月に、子方が親方の家へおめでたう[#「おめでたう」に傍線]を言ひに行く慣例は最近までありました。柱を分家の数だけ立てるのは、此記憶が底にあつたからでせう。処で、此柱を十数本立てた形は、恰も、とり入れた稲を乾すはざ[#「はざ」に傍線]と同じ形なので、事実この門神柱の事も、はざ[#「はざ」に傍線]と言うてゐるのです。さうして見ると、此二つは、偶然似てゐるだけではなく、稲を乾すはざ[#「はざ」に傍線]も、元は実用の為に作つたものではなく、やはり田の神を迎へる為の棚であつた事が考へられるのであります。
かやうに、此地方の門松は、柱が主体で、松は客体と見られるのですが、而も、此十数本も立てた柱の下にも、一々松を立てるのは、如何にも意味のある事だと思はれます。即、此松を添へると、山から迎へて来た霊が、その柱に宿ると考へた遠い昔の人の信仰が、如実に想像出来るではありませんか。今でも、此松を山から伐り出す事を、伐るとは言はないでおろす[#「おろす」に傍線]と言うてゐますが、古くは、はやす[#「はやす」に傍線]と言ひました。松ばやし[
前へ 次へ
全10ページ中7ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
折口 信夫 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング