だつたのです。それが二度になつて、一方は仏教との習合によつて非常に盛んになり、初春の方は、正月の行事が行はれた為に魂祭りとしての信仰は、却つて忘れてしまうたのです。しかし、此魂祭りなるものが、古い時代のは、今の仏教式のものではなく、暮・初春に、山から――もつと古くは海の彼方から――来訪すると信じた祖先神を祀る事だつたので、さうした神を迎へる祭壇が、即、たな[#「たな」に傍線]或はくら[#「くら」に傍線]だつたのです。七夕も、後には支那の乞巧尊信仰がとり入れられて星祭りになつてしまひましたが、此語に印象されてゐる日本本来のものは、さうした遠来の神を迎へるべく、をとめ[#「をとめ」に傍線]が海岸に棚を作つて、神の斎衣を作る為の機を織りながら待つてゐたので、此がたなばたつめ[#「たなばたつめ」に傍線]でした。門松が、やはりさうした神を迎へる為の棚であつたといふ記憶を、かすかながらでも残してゐるのが、此三・信・遠国境の山村で見た門神柱です。普通の家では、此門神柱を二本しか立てませんが、家によると十数本も立てるのがあります。その意味は、もう忘れられてしまうてゐるのですが、老人達の話しを綜合して考
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