ら言ひますと、樒は仏前のものになつてをりますから、それを門松の代りに立てるのは如何にもをかしいと思ひますが、昔は、榊が幾種もあつたので、樒も、榊の一種だつたのです。
それなら、何故榊を立てるかゞ問題になるのですが、かうした信仰は、時代によつて幾らも変つてをりますから、一概に言ふ事は出来ませんが、正月の神を迎へる招《テ》ぎ代《シロ》であつたかとも見られます。さういふ考へも成り立たなくはないのです。しかしこゝには、まう少し正月に即した考へを立てゝ見ませう。
日本には、古く、年の暮になると、山から降りて来る、神と人との間のものがあると信じた時代がありました。これが後には、鬼・天狗と考へられる様になつたのですが、正月に迎へる歳神様(歳徳神)も、それから変つてゐるので、更に古くは、祖先神が来ると信じたのです。歳神様は、三日の晩に尉と姥の姿で、お帰りになると言ふ信仰には、此考妣二位の神来訪の印象が伝承されてゐる様です。しかし此話しは、既に度々してをりますので、こゝには省略したいと思ひます。
とにかく、此信仰には、現実との結びつきがありました。さうした山の神に仕へる神人《ジンニン》があつて、暮・初春
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