り、松だけのものもあり、更に変つた形のものもあつたらしいので、「松枯れで、武田首なきあした哉」の句は、松平と武田とを諷したのでせうが、形が、略今日東京で立てるのと似てゐた様に思はれます。
今日東京で立てますのは、削いだ竹が中心になつて、それに松があしらはれてゐるのが本式とされてゐます。今では、此形が全国的にまねられてゐるのですが、それでも、古い習慣を守つてゐる地方には、尚、お国風と見られる、松が主になつて、その根元に笹の葉が挿されてゐるもの、松だけが柱に結ひつけられてゐるもの、その他色々違つた形のものがあります。此らを見ますと、一体門松は、竹が中心なのか、松が中心なのか、と考へて見なければなりません。
しかし、ところによると、松も竹も立てないで、全然別のものを立てゝゐるところもあります。譬えば、箱根権現の氏子は、昔から、竹も松も立てないで、樒を立てます。此には伝説が附随してゐるので、箱根権現が山を歩いてをられるとき、松葉で眼をつかれた、それで氏子は必片目が細いと言ひ、松を忌むのだと言ふのですが、此様な話しは、諸国にある餅なし正月の話しなどゝ同じで、合理的な説明に過ぎません。今日の考へか
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