線]と言ふ語も、生民を意味するひと[#「ひと」に傍線]といふ語も、等しく威力を寓した肉体をさすものである。
我々の万葉びとの生活を書いた本旨は、民人の生活は邑々の酋君の生活の拡張であり、日のみ子[#「日のみ子」に傍線]の信仰行事の、一般化であると言ふ事である。ひと[#「ひと」に傍線]は確かに、ある選民《センミン》である。「と」の原義は、不明だが、記・紀を見ても、神と人との間のものゝ名に、常に使はれてゐる。此ひと[#「ひと」に傍線]の義が、転化して国邑の神事に与る実行的な神人の義になつた。神意をみこともち[#「みこともち」に傍線]て、天の直下の世界――天の下――に出現せられた君の為に、其|伴人《トモビト》として働くものが、ひと[#「ひと」に傍線]だつたのである。だから近代まで、村人は、必ひと[#「ひと」に傍線]とならねばならなかつた。
青人草・天のますひと[#「天のますひと」に傍線]の伝承は、記・紀以前語部の合理化を経てゐる。が、とかく「ひと」と言ふ観念に入るものは、神事に奉仕する為に、出現するものゝ義に過ぎなかつた。沖縄語は偶然、此を傍証してゐる。神よりも霊を意味するすぢ[#「すぢ」に
前へ 次へ
全67ページ中58ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
折口 信夫 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング