る。其薨後、其宮の舎人等の吟じたと思うてよい二十三首の挽歌は――人麻呂の代作らしい――此島の宮と、墓所|檀《マユミ》の岡との間を往来して、仕へる期間も終りに近づいた頃に謡うた鎮魂歌らしいが、島の宮の池の放ち鳥を三首まで詠じてゐる。
[#ここから2字下げ]
島の宮、上の池なる放ち鳥、荒びな行きそ。君まさずとも
み立《タ》たしの島をも家と棲む鳥も、荒びな行きそ。年かはるまで
塒《トクラ》たて飼ひし雁の子、巣立ちなば、檀《マユミ》の岡に飛び帰り来ね(巻二)
[#ここで字下げ終わり]
と鳥に将来の希望を述べてゐる。此は皆、皇子尊の愛玩せられたものだから、其によつて感傷を発したものと言うて了へば、其までゞある。が、天智の崩御の時も「わが大君の念ふ鳥立つ」と、湖水の游鳥を逐ひ立てぬ様に心せよ、と言ふ風な皇后の御歌がある。鳥に寄せて悲しみを陳べた歌は、他にも多い。
此は唯遺愛の鳥だからと言ふやうに見えたが、尚古い形から展開した発想法であつた。鳥殊に水鳥は、霊魂の具象した姿だと信じた事もある。又其運搬者だとも考へられた。而も魂の一時の寓りとも思うて居た。事代主神がしてゐたと言ふ「鳥之遨游《トリノアソビ
前へ 次へ
全67ページ中53ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
折口 信夫 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング