のも「さぬのくゝたち」の歌の場合の、古用例だとは言へないが、おもしろい因縁である。
ふる[#「ふる」に傍線]の内容の深いやうに、はやす[#「はやす」に傍線]も木を伐り迎へ、鎮魂するまでの義を含んでゐた。其が後世は、更に拡つて行つたのだ。はやす[#「はやす」に傍線]わざは、初めから終りまで妹のするのではない様だ。が、大嘗の悠紀・主基の造酒児《サカツコ》なる首席巫女の、野の茅も、山の神木も、まづ刃物を入れるのを見れば、さうした形も、想像出来る。
霊の放ち鳥
漢土の天子諸侯の生活には、林池・苑囿《ゑんいう》を荘厳するのが、一つの要件であつた。さうして、奇獣を囹《ヲリ》にし、珍禽を放ち飼うた。此先進国の林池の娯しみは、我が国にも模倣せられた様に見える。蘇我氏の旧林泉の没収せられたものらしい飛鳥京の「島の宮」は、泉池・島渚の風情から出た名らしい。而も、此が代表となつて、林苑を「しま」と言ふ様になり、又山斎を之に対して「やま」と言ふ様になつたらしい。我が国造庭術史上に記念せられるはずの宮地であつた。
其離宮に居て、摂政太子として、日並知皇子尊と国風の諡を贈られたのは、草壁皇子であ
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