、旅人我の魂を浄め籠めて置かう。帰り来る時まで――ひきよせられて還り来る様にの意か――此歌、旅行者自身の歌と伝へたのは、誤りであらう。此歌の意も、神を斎《イハ》ふと言ふ様にならないでよく訣《ワカ》る。又、幼稚だが、極めて近代的なと思はれてゐる、
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まつのけの なみたる見れば、いはひとの 我を見おくると、立《タ》たりし もころ(巻二十)
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と言ふのも、道中に松の並み木を見た歌として鑑賞出来ぬ様になる。靡並而有《ナナミタル》ではない様だ。松の木の靡き伏《ナ》すばかり、老い盛え木垂《コダ》るを見るに、松の木の枝の靡き伏す斎戸《イハヒト》に――斎殿か、家人《イヘビト》又は斎人《イハヒビト》か――旅の我を後見《ミオク》る――家に残つた人の遠方から守らうとして、立てたりしはやし[#「はやし」に傍線]の松の、其まゝの姿である。家の魂の鎮斎処の、我が為のはやし[#「はやし」に傍線]の木の勢盛んにある様の俤と信じられる。さすれば、家なる我が魂は、鎮り、栄えて居るのだ。かう言ふ旅人の「枕のあたり忘れかねつも」一類の不安は、旅泊の鎮魂の場合に起り勝ちなのであつた
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