て、「神自体」よりも「神さながら」となり、更に「神意によるもの」と言ふ義を生じた。かむから[#「かむから」に傍線]と、殆ど同義に用ゐたものが、万葉には最多くなつてゐる。君の言行に限つて言ふ詞が、自然庶物に内在する神徳の頌辞とさへなつた。
君の居処なる「天の下」――天の直下――及び其附近に居るものは、君の外には神はなかつた。其が、精霊の優勢なものをも、神と称する様になつた為である。さうして、君の本地身たる至上神と、君との関係に血族観を深めて行つて、神格と人格との間に、時代を置いて考へる様になつた。
其でも宮廷詞人の作物には、伝承詞章による発想を守つてゐるものが多い。だから、其章句から直に、当時、神自体観の存在した事の証明は出来ない。君は如何なる威霊をも、鎮斎して内在力とする事が出来るとの信仰が、早く種々の異教を包括する様になつた。が、此初期になると、君の仰ぐべきものに、第一義のものとして仏法が現れ、従来の信仰は、其一分派としての神道を以て称せられる様になつた。君の生活が「神ながら」と言ふ修飾辞を生むだけ、神を離れてゐたからである。聖徳太子を上宮法王と言ひ、又降つて奈良の道鏡にも、其先蹤に
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